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第260回 西部劇 華やかなりし頃 〜駅馬車からシェーンまで〜 2007年5月16日















駅馬車


駅馬車


駅馬車


駅馬車


シェーン


シェーン


荒野の決闘


真昼の決闘

資料写真提供:岡茂光氏
 “西部劇 華やかなりし頃”、それは今となっては大昔、1950年代に遡る。
 この時代、毎年30本を超える作品が日本で公開され、世の西部劇ファンを虜にした。かく言う私もその一人である。
 “アンパン”をムシャムシャ頬張り“南京豆”をポリポリかじりながら一日中映画館に篭ったことも一度や二度ではない。食い入る先の銀幕には、鮮やかなガンさばきを見せるウエスタンヒーローや馬上ラッパの音も高らかに突撃する騎兵隊の勇姿が躍っていた。
 西部劇を興隆に導いた「駅馬車」。“映画ってこんなに面白いものなのか!!”、子供心に深く刻まれた思い出の作品である。荒野を行く”駅馬車“、その行く手にライフルをかざし立ちはだかる一人の若者。リンゴー・キッドに扮したジョン・ウエインの鮮烈なデビューだ。少しはにかんだような初々しさあふれる表情が忘れられない。
 ジョン・フォードの気迫がひしひしと感じられるのが「駅馬車」ならば、彼の枯淡の味が発揮されるのが「荒野の決闘」である。主人公、ワイアット・アープのクレメンタインへの淡い想い。この作品の本当の良さが分ったのは大人になってからであった。
 老境にさしかかったゲイリー・クーパーが新境地を開いた異色西部劇、「真昼の決闘」。アラン・ラッドが一世一代の演技を披露する「シェーン」。まさに私の青春時代は西部劇と共にあったと言えよう。
 あれから50年、時代は変わり新たな西部劇の誕生が望めぬ今、その華やかなりし頃を振り返り、皆様と共に古きよき時代の郷愁に浸りたい。 (岡 茂光)



PROFILE ・・・・・・・・・・・・・・・・

岡 茂光 氏(おか しげみつ)
映画評論家
1944年1月 東京生まれ、小学校当時より映画館通いが始まる。
1962年3月 麻布学園高等学校卒業(映画にうつつを抜かし成績は劣悪)
1967年3月 慶応義塾大学商学部を辛くも卒業
1967年4月 日産自動車(株)入社、語学も出来ぬのに海外部門配属

      その後、海外勤務の為足掛け16年を欧州にて暮す。
      勤務地はブラッセル、ミラノ、チューリッヒ、アムステルダム
      そしてローマの4カ国、5都市。

欧州滞在中は映画を観ても言葉が分らぬ為、もっぱら日本からのビデオ、LDにて鑑賞。一方、休みとあらば好きな映画のロケ地を見て回った。主な場所は以下の通り。

アイルランド西部ガルヴェイ湾岸地方(ジョン・フォードの故郷)「静かなる男」
トルコ・イスタンブール「トプカピ」「007/ロシアより愛をこめて」
チュニジア・マタマッタ「スターウォーズ」
イタリア・シチリア島「ニューシネマパラダイス」「グランブルー」
イタリア・ローマ「ローマの休日」「甘い生活」「自転車泥棒」「無防備都市」その他
イタリア・ヴェネチア「ベニスに死す」「旅情」
イタリア・アドリア海沿岸・リッチョーネ「激しい季節」
イタリア・アレッッオ「ライフ・イズ・ビューティフル」
モナコ・モンテカルロ「泥棒成金」
オーストリア・ウイーン「第三の男」
バハマ・ナッソー「007/ドクターノウ」「海底二万マイル」
スイス・シルトホルン「女王陛下の007」
南仏・カマルグ地方「素晴らしい風船旅行」
フランス・ブルゴーニュ地方ペルージュ「三銃士」
(尚、本年2月、念願のアメリカ、アリゾナ州にある西部劇の聖地、モニュメントヴァレーを訪れた。ここはジョン・フォードが多くの作品を撮影した場所で“フォードの庭”と呼ばれている。)

2004年 日産自動車を定年退社
2006年 有限会社keura設立、主に若手工芸家の展示会企画、開催を行う。
      尚、keuraは日本の古語、竹取物語にも出てくる言葉、
      “清らかな”の意味。
      詳しくはkeuraホームページご参照下さい。(http://keura.com/)
      尚、ホームページより小生ブログ(徒然想)にリンク可。
(ブログはほぼ毎日更新、内容は映画をはじめ、旅、スポーツ、料理等)


■ 講演内容 ■
  1. 西部劇の黄金時代はいつか?
    映画としての初めての西部劇の誕生が1903年の「大列車強盗」
    本格西部劇の誕生が、1923年、「幌馬車」、続いて1924年、ジョン・フォード監督の「アイアンホース」
    日本での西部劇黄金時代は1951年から1959年の9年間。この間、毎年20〜40本の西部劇が封切られた。

    ■ 紹介作品数と主な作品は以下の通り
    1951年 40本 黄色いリボン、西部の男、白昼の決闘
    1952年 38本 真昼の決闘、リオグランデの砦、赤い河、
    1953年 33本 シェーン、アパッチ砦、三人の名付け親、遠い太鼓
    1954年 30本 帰らざる河、ブラボー砦の脱出
    1955年 21本 ヴェラクルス、ララミーから来た男
    1956年 23本 捜索者、誇り高き男
    1957年 36本 OK牧場の決闘、ながれ者
    1958年 38本 胸に輝く星、ゴーストタウンの決闘
    1959年 23本 大いなる西部、リオ・ブラボー、ガンヒルの決闘


  2. 監督、ジョン・フォード(1894-1973)
    ジョン・フォードは西部劇をこよなく愛する男だった。何故ならば、1950年の自己紹介で言った言葉、「My name is John Ford,making westerns」がそれを物語っている。
    生涯60本の西部劇を手掛けたフォード(但し1939年駅馬車以降は12本)、彼は“西部劇の神様”と呼ばれている。
    しかしながら、フォードは“西部劇”のみならず“映画の神様”と言える。
    何故ならば、彼は監督としての最高の栄誉といえる、“アカデミー監督賞”を西部劇以外で4回受賞している。これは、アカデミー史上、最多獲得記録である。

    ■ アカデミー監督賞、複数受賞監督一覧
    <4回>
    ジョン・フォード 「男の敵」「怒りの葡萄」「わが谷は緑なりき」「静かなる男」
    <3回>
    ウイリアム・ワイラー「ミニーヴァ夫人」「我等の生涯の最高の年」「ベン・ハー」
    <2回>
    フランク・ボーセージ「第七天国」「バッドガール」
    フランク・キャプラ「或る夜の出来事」「我が家の楽園」
    レオ・マッケリー「新婚道中記」「我が道を往く」
    ビリー・ワイルダー「失われた週末」「アパートの鍵貸します」
    エリア・カザン「紳士同盟」「波止場」
    ジョセフ・L・マンキーウィッツ「三人の妻への手紙」「イブの総て」
    ジョージ・スティーブンス「陽の当たる場所」「ジャイアンツ」
    ロバート・ワイズ「ウエストサイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」
    フレッド・ジンネマン「池上より永遠に」「我が命つきるとも」
    ミロシュ・フォアマン「カッコーの巣の上で」「アマデウス」
    オリバー・ストーン「プラトーン」「ドライビング・ミスデイジー」
    スティーブン・スピルバーグ 「シンドラーのリスト」「プライベートライアン」
    クリント・イーストウッド 「許されざる者」「ミリオンダラーベイビー」


  3. 「駅馬車」(1939年)と「荒野の決闘」(1946年)
    「駅馬車」は正統西部劇の最高峰、西部劇の面白さが総て盛り込まれ凝縮された作品。
    ジョン・フォードがあたかも”駅馬車“の乗客になりきったように映画に没入。
    一方、「荒野の決闘」は「駅馬車」の“動”に対する“静”の作品。ジョン・フォードは客観的に静かに映画を見つめている。彼が枯淡の境地に入った第一作。

    「駅馬車」から「荒野の決闘」まで空白の七年間に何があったか??
    フォードは太平洋戦争に記者として従軍、最前線の生々しい様子をカメラにおさめた。
    この従軍記者体験がフォードの心境に変化をもたらせたのであろう。
    「荒野の決闘」以降の彼の作品には従来の西部劇には無かったユニークなテーマが設定されている。

    映画タイトル 映画の主要テーマ
    荒野の決闘 ワイアット・アープがクレメンタインに抱く恋心
    アパッチ砦 騎兵隊全滅を通じ、指揮官の資質何かを問う
    黄色いリボン フォードの愛する西部の大自然描写
    リオグランデの砦 わが子が部下として配属してきた前線の司令官の心理描写
    三人の名付け親 ならず者の“みなしご”にかける人間愛
    捜索者 インディアンにさらわれた姪を通じての人種偏見と家族愛
    バファロー大隊 無実の罪をきせられた黒人の弁護を買って出る将校の葛藤


  4. 「真昼の決闘」(1952年)
    今までは無敵のヒーローであった保安官を一己の人間、弱みを見せる男として描いた異色西部劇。試写会の段階では大不評だったが興行的には大成功する。

    監督 フレッド・ジンネマン、(「池上より永遠に」)
    製作者 スタンリー・クレーマー(「渚にて」、「ニュールンベルグ裁判」)
    二人の社会派コンビによる西部劇という所に意味がある作品。

    難航する主役選び。候補者(ヘンリー・フォンダ、グレゴリー・ペッグ等)すべてに断られる。偶々、体調不良で休養中のクーパー(当時55歳)が引き受けた。結果的にクーパーに2度目のアカデミー賞をもたらせた。

    映画の主人公、苦悩する保安官を見て怒ったのがジョン・ウエイン。
    正統的な保安官を描くと宣言して作ったのが「リオ・ブラボー」。
    ここから、クーパー、ウエイン不仲説が強まった。但し、実際にはウエインはクーパーの代理人としてアカデミー賞を受け取っており、二人はそれほど仲が悪くは無かったのではないか。


  5. 「シェーン」(1953年)
    「シェーン」が単なる“股旅”西部劇と違う所。
    1.従来の西部劇と違う舞台設定。従来の殺伐としたアリゾナ、ニューメキシコ等の荒野からロッキーの麓、緑滴るワイオミングに舞台を設定した。
    2.常に少年“ジョーイ”の目線で描いている。
    以上によって、従来の西部劇にはなかった“しっとり”とした情感溢れる作品となっている。ホームドラマ的味わいさえ漂ってくる。

    監督、ジョージ・スティーブンスとは、
    どっしりと腰をすえた映画作りが得意。ひとつひとつの場面が非常に長い。
    それが映画の導入部のロングショットで素晴らしい効果を上げている。

    西部劇史上有名なシェーンの早撃ち、0.6秒は最速記録として残っている。

    シェーンは何処に行く?????
    最後の決闘が終わり、ジョーイに別れを告げたシェーン、その行く先は???

    <岡 茂光 氏 講演レジュメより>
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