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● PROFILE ・・・・・・・・・・・・・・・・・●
岡 茂光 氏 (おか しげみつ)
映画評論家
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1944年1月 東京生まれ(小学校の当時より映画館通いが始まる)
1962年3月 麻布学園高等学校卒業(映画と野球に力を注ぎ成績は劣悪)
1967年3月 慶応義塾大学卒業(学部は商学部だったが最も興味を持った授業は文学部、津村秀夫氏の「映画論」)
1967年4月 日産自動車(株)入社。海外部門勤務を続け、その間、足掛け16年欧州滞在を経験する。滞在地は、ブラッセル、ミラノ、チューリッヒ、アムステルダム、ローマの4カ国、5都市。
欧州滞在中、休暇は殆ど映画のロケ地訪問に費やした。
アイルランド西部ガルヴェイ湾岸「静かなる男」(ジョン・フォード監督の故郷)
イタリア、シチリア島「ニューシネマ・パラダイス」「ゴッド・ファーザー」「グランブルー」
イタリア、ローマ「ローマの休日」「甘い生活」「自転車泥棒」「無防備都市」
イタリア、ヴェネチア「旅情」「ベニスに死す」
イタリア、アドリア海岸、リッチョーネ「激しい季節」
イタリア、アレッツオ「ライフイズビューティフル」
オーストリア、ウイーン「第三の男」
チュニジア、マタマッタ「スターウオーズ」
トルコ、イスタンブール「トプカピ」「007/ロシアより愛をこめて」
南仏、カマルグ地方「素晴らしい風船旅行」
フランス、ブルゴーニュ、ペルージュ「三銃士」
スイス、シルトホルン「女王陛下の007」
モナコ、モンテカルロ「泥棒成金」
アメリカ、モニュメントヴァレー「駅馬車」「荒野の決闘」「黄色いリボン」
2006年 日産自動車退社後、有限会社keura設立。主に若手工芸家の展示会企画、開催を行う。
尚、keuraとは日本の古語、「竹取物語」に出てくる言葉で“清らかな”の意味。詳しくはkeuraホームページをご参照下さい。→ http://keura.com/
同時に自己のブログを開設(現在のブログ名、新・徒然想)、内容は映画、スポーツ、料理、旅が中心。
2008年 大田区観光協会傘下、“モノづくり観光クラブ”及び“蒲田モダン研究会”のメンバーとなる。特に、松竹キネマの原点ともなった“蒲田モダン”に興味を覚え勉強中。
■ 講演内容(講演資料より)
愛しのオードリー! 妖精の輝き
〜 Hepburn Story 〜
- オードリー・ヘップバーンの人気
- 人気の秘密
- 少女時代(生い立ち〜戦火の影響と平和への願い)
- 運命の出会い(ロンドンからニューヨーク、そしてハリウッドへ)
- シンデレラ・ストーリーの実現
(「ローマの休日」から「シャレード」まで)
- 天国と地獄の「マイフェアレディ」
- 私生活上の出来事
- 9年ぶりの銀幕復帰(「ロビンとマリアン」)
- 献身的なユニセフ活動
- 悲しい別れ
- 幻の作品
ジョー・ブラッドレーの家
永遠の都ローマ、そこは常に数多くの観光客で賑わい、その人たちの為に多くのツアーが用意されている。その中のひとつ、“「ローマの休日」の場面を訪ねて“が特に映画ファンの間で人気が高い。
アン王女が長い髪の毛をバッサリと切り落とした美容院そばの“トレビの泉”、夏の宵、楽しげに野外ダンスに興じた“サンタンジェロ城”等、多くの名所がツアーに含まれている。
しかしながら、映画ファンとしては観光名所ではないが、グレゴリー・ペッグが扮したブラッドレー新聞記者の自宅を見てみたいと思っている方が多い。何故ならばその場所はアン王女とブラッドレーがお互いに親しみを持って言葉を交わした記念すべき場所であるからだ。
ところが、この場所にたどり着くのがなかなか厄介なのだ。
ローマの中心にある“スペイン階段”、映画ではその途中でアン王女が嬉しげにアイスクリームを食べていた場所だ。階段を下りきって右に行くと“バブイーノ通り”でポポロ広場へと通じている。その“バブイーノ通り”の裏に全長僅か200メートルばかりの通りがある。
“マルグッタ”と名づけられた通りは細道であるにもかかわらずローマっ子の間では芸術家の集まる場所として、知らぬ人の無いほど有名な場所なのだ。
「ティファニーで朝食を」の作者、トルーマン・カポーティは一時期この通りに居を構え制作活動に専念した。イタリア映画史上、最も人気のある映画監督のフェデリコ・フェリーニもその妻であり名女優であるジュリエッタ・マシーナと終生マルグッタ通りで仲睦まじく生活した。
今でも彼らが住んでいた家の壁には二人の表札がかけられている。
“マルグッタ通り51番地”! そこが目指すブラッドレー記者の住んでいた住所である。これだけ住所がはっきりとしているのに何故にたどり着くのが難しいのか?
その理由はふたつある。ひとつは入り口の門の扉が昼時になると閉ざされてしまうからだ。イタリアで今でも残る長いお昼のお休みで11時半ごろより14時半までピタリと戸は閉ざされ中には鍵がないと入れない。
「ならば、それ以外の時間に入ればいいじゃないか」と言われるだろう。
それでは期待して中に入ってみよう。すると、そこにはただ砂利を敷き詰めた広場と両側は古いオフィスビルで目指すブラッドレーの家はどこにも見当たらない。訪れた多くの人はこう思いガッカリと引き返す。
「映画の製作は1954年の昔だ、きっとあの家は取り壊されてしまったのだろう」(映画のワンシーン、アン王女が51番地からマルグッタ通りに出てきたところ)
しかし、ここは“永遠の都ローマ!”、古いからといってそうそう建物を取り壊す事はない。
実は広場に足を踏み入れる事が出来たなら目指す場所はすぐそばにあるのだ。
広場の奥に向って進むと左手に隠れているかのような小さな坂道が現れる。その坂道を登っていく人は51番地の奥の深さに驚く事だろう。しかし、ここで引き返してはいけない。


(写真左:建物の上のテラスがアン王女とブラットレー記者が楽しく語らった場所)
そして坂道を登ることしばし、遂にあの懐かしい光景が目の前に広がってくる。向こうからアン王女が軽やかに歩いてくるかのような想いにとらわれる瞬間である。


ローマを訪れるオードリーファンの方々には是非とも訪れていただきたい場所である。


話は変わるが、51番地のお向かいに“マルグッタ”の名前の小洒落たレストランがある。
時は2002年、花の咲き乱れる6月の頃、一人の年老いた男がレストラン戸外の椅子に腰を下ろした。彼こそ誰あろう、ブラッドレー記者を演じたグレゴリー・ペッグその人であった。それは彼の死ぬ1年ほど前のことだった。

彼は感慨深げに向かいの51番地を見つめ、やがてポツリと語った。
「何も変わっていないなー、
何も変わっちゃいないさ・・・・・・・・・・
変わっちまったのは俺だけだ」
そのとき、グレゴリー・ペッグの胸に去来したものは“遠い昔の妖精との恋の語らい”だったのだろうか。