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第292回 夢への挑戦 ~天の上を目指して~ 2010年01月27日
 今、日本で最強の登山家は誰か。
メスナーがいう「エベレストをフェアな手段で」、つまり自分の「心臓と肺」だけで登る無酸素登頂は、一般の登山とは全く別物である。自分の肉体と精神力だけでデス・ゾーンを乗り越えて、8千メートルの「神々の座」にたどり着く無酸素登頂こそ現代に残された登山家の極限の挑戦とすれば、冒頭の問いの回答として、無酸素登頂こそスーパークライマーの条件である、と言いたい。そういう意味で、私は小西浩文こそ現役の最強の登山家と見なし、三年ぶりに書いた登山家の物語の主人公として、本書に取り上げたのである。
 小西浩文は、エベレストをはじめ8千メートル峰14座無酸素登頂を可能にし、実現できる登山家は、「神に選ばれたもの」と、思っている。自分がその存在かどうかは、まだわからないが、これまでは奇跡的に生還してきた。本文でも詳しく触れているが、それこそ「生と死」の生々しい極限の世界が、彼の挑戦する世界なのである。

(長尾三郎著 講談社「無酸素登頂8000m14座への挑戦」より抜粋)
 































































小西浩文氏写真
PROFILE ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小西 浩文 氏 (こにし ひろふみ)
登山家・冒険家
1962年 3月15日、石川県生まれ(47歳)
1977年 15歳で本格的登山を始める。
酸素ボンベを使わない「無酸素登頂」というスタイルで、8000m級の山々に挑戦する。
1982年 20歳でパミールの7,000m峰2座 (コルジェネフスカヤ、コミュニズム)に連続登頂
中国の8,000m峰シシャパンマに無酸素登頂
1989年 ハンテングリ登頂により、日本人初のスノーレオパルド(雪豹)勲章受賞。
※ソ連崩壊により授与が中止となった。
1997年 ガッシャーブルム1峰を無酸素登頂。日本人として初めて、8000m級の6座無酸素登頂を達成した。世界には8000m級の山が合計14座あり、人類3人目となる14座制覇を目指して挑戦を続けている。
2009年 世界8,000m峰全14座無酸素登頂を目指して活動中。
 
<メディア・他>
1986年 東宝映画「植村直巳物語」出演
フジTVドラマ「花嫁衣裳は誰が着る」岩登りアドバイザー
1988年 VTR「最新登山技術シリーズ全6巻」技術指導及び実技出演
1993年 日本TV「奥多摩全山24時間耐久レース」出演
1999年 NHK「穂高連峰の四季~標高3,000mの世界」出演
TVCF出演 クライアント「日栄」
NHK山岳カメラマン研修講師(92,93,94,99年)
インターナショナルトレーディングコーポレーション(GTホーキンス)イメージキャラクター契約
三井物産スポーツ「マーモット」アドバイザー契約
2000年 三井物産スポーツ「マーモット」アドバイザー契約
2001年 テレビ朝日「ネイチャリングスペシャル 西田敏行、南米大陸
「最高峰アコンカグアに挑む」登山コーディネイト、登山隊隊長及び出演
シリオ株式会社 アドバイザー契約
2007年 山岳サスペンス・アクション映画「ミッドナイト・イーグル」(主演:大沢たかお、竹内結子)山岳アドバイザー
テレビ朝日「土曜スペシャル2」
2003年~
2008年
コールマンジャパン株式会社 アドバイザー契約
BS11「大人の自由時間」
日本TV「思いっきりイイTV」

登山歴、挑戦の数々

年度
国/地域
山名
標高
記録
1982年
パミール
コルジェネフスカヤ
7105m
登頂
パミール
コミュニズム
7495m
登頂(連続)
中国
シシャパンマ
8012m
無酸素登頂
1984
パキスタン
ナンガパルバット
8125m
ディアミール壁7600m到達
1985
アメリカ
マッキンリー
6194m
登頂
1986
ケニア
ケニア山
5199m
ダイヤモンドクロワール登頂
タンザニア
キリマンジャロ
5895m
ヘイムグレイシャー登頂(日本人初)
1987
ネパール
ピサンピーク
6091m
冬季単独登頂
パミール
レーニン峰
7134m
登頂
ネパール
ダンプピーク
6012m
単独登頂
1989
旧ソ連
ハンテングリ
7010m
登頂(日本人初)
1991
パキスタン
ブロードピーク
8015m
無酸素登頂
1992
パキスタン
ガッシャーブルム1峰
8068m
7300m到達
パキスタン
ガッシャーブルム2峰
8035m
無酸素登頂
パキスタン
K2
8611m
7200m到達
中国
チョーオユー
8201m
無酸素登頂
(7000mから9時間で登頂)
1996
ネパール
カンチェンジュンガ
8586m
無酸素登攀8400m到達
1997
ネパール
エベレスト南東稜
8848m
無酸素登攀7500m到達
ネパール
ダウラギリ1峰
8167m
無酸素登頂
パキスタン
ガッシャーブルム1峰
8068m
無酸素登頂
(BC建設後1週間で登頂)
1998
ネパール
アマダブラム
6812m
登頂(ガイドとして)
BC建設後5日間で登頂
1999
ネパール
パルチャモ
6280m
冬季登頂(ガイドとして)
2000
ネパール
メラピーク
6450m
登頂
2002
ネパール
マナスル
8163m
無酸素登攀7700m到達
2004
ネパール
アイランドピーク
6160m
登頂
2005
ネパール
アイランドピーク
6160m
登頂
2006
ネパール
マナスル
8163m
無酸素登攀7000m到達

天の上を目指して更なる挑戦!

 この地球上には、エベレストをはじめとして、8,000mを超える山々が14座存在します。私は今まで、日本人最多の6座の無酸素登頂に成功しています。
 そして来年2010年春には、7座目となるマナスル(8,163m)無酸素登頂を計画しております。これが成功すれば、日本人による8,000m峰無酸素登頂記録更新となり、さらに、私が計画している、世界の8,000m峰14座全山無酸素登頂への大きな前進ともなります。
 冒険の中で、最も困難で過酷と言われている14座無酸素登頂は、今まで、世界でメスナー(イタリア)、ロレタン(スイス)、イヌラテギ(スペイン)の3人しか達成していません。
 私は、私の命を賭けた無酸素登頂という冒険が、日本人、そして世界の人々に、「夢」や「希望」を叶えるための勇気を与える挑戦でありたいと常に考えております。
 また、現在、世界中で問題視されている急速な温暖化は、平地よりも高い山に顕著に現れています。そのことも、私の目で現実に見たことを皆さんに伝え、早急な温暖化防止策の必要性も訴えていきたいと考えています。

なぜ、無酸素なのか?

 8,000mという世界は、酸素・気圧が平地の三分の一という世界です。
例えば、羽田空港から関西空港までの飛行時、飛び立って約20分後に安定飛行に入り、安全ベルト着用のサインが解除されます。そのあたりがちょうど8,000m付近にあたります。その辺の山の気温はマイナス15~マイナス45度という世界です。私は、敢えて、その過酷な条件に無酸素でチャンレンジしています。
 それは第一に、 8,000mという未知の世界を『天から与えられた己の心臓と肺だけで登りたい』、己の身体のみで8,000mの全てを感じたいからです。8,000mで毎分4Lの酸素を吸っていると、外見上は8,000mにいたとしても、身体の内部は6,500mあたりの環境となんら変わらないということです。
 第二に、大好きな山の自然に負荷をかけないということです。通常、多くの登山家は、何十人ものスタッフを従え、大量の酸素ボンベを使用します。使用されたボンベは、そのまま山に捨てられているのが現実です。ものすごいボンベの量が、大好きな山々に捨てられているのです。私は、自分のスタイルを追求した結果、最小限のスタッフと装備、そして、酸素ボンベを使わない、捨てないという考えに行き着いたのです。

登山の基礎知識

あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行

あ行  
アイゼン 登山靴につける鉄のカンジキみたいなもので、雪の斜面や、氷壁を登るときにスリップしないように履くものです。 ヒマラヤ8000m峰を登る時に、登攀(とうはん)用具の中では一番重要な物、と言っても過言ではありません。 通常は、12本爪を使用します。
私は、ヒマラヤでは「シャルレー」、国内では「シモン」を使用しています。
か行  
高度計 高度計とは、現在地の高度が数字でわかる機械の事です。 私が、ヒマラヤに行きだした27,28年前には、TOMEMの高度計を持っていました。15年前ぐらいからは、アボセットという時計メーカーが高度計付の腕時計を開発したので、だいぶ便利になりました。 その後はスントやカシオが高度計付の時計を発売して、今ではヒマラヤに行く登山家達にとっては、高度計付の時計が常識になりました。
さ行  
ストック ストックは、ヒマラヤ登山でも非常に重要な装備の一つです。 ジュラルミン仕様、あるいはアルミ仕様、カーボン仕様など様々あります。 登山用のストックは、長さを調節できるように収納式になっています。 1本、ないし2本使用します。
た行  
テルモス テルモスとは、俗に言う魔法瓶の事です。
ヒマラヤ登山において、テルモスは大変重宝します。
気温がマイナス30度、風速が20mぐらいあるときなどは、テルモスに入った一杯の温かいミルクティーが、どれだけ登山家の身体と心を和ませてくれるか。 私が使っているのはチタン製で、450ml入りのものを使用しています。 行動時間が長くなりそうなときは、それを2本ザックの中に入れて行きます。
トイレ 8000m級の山ではもちろんトイレはありません。その場合、登山者が設定した場所が、すなわちトイレということになります。テントがあれば、テントの近くに用を足しますが、行動中であれば、ルート上で行います。極端な話、岩壁や氷壁を登っていれば、その途中で、安全ベルトをしたまま空中でするという事もあります。

慣れていないと、このような状況というのは意外に難しく、高いレベルを求める登山家にとっては、ある程度の図太さや、環境への柔軟な適応力が要求されます。 慣れていないと、極端な便秘になってしまう方もいます。
な行  
寝袋 登山中に寝るときは、通常は寝袋(シュラフ)を使います。 寝袋の中には、暖をとる為化学繊維や羽毛が入っていたり、様々です。 最高級のものは、ホワイトグースダウンと言われています。これは、かなり暖かいです。 表面は、ナイロンやゴアテックスのものがありますが、私は軽いので、ナイロン製を使っています。ヒマラヤには2つ持っていきます。一つはベースキャンプ用、もう一つは高所キャンプ用です。

私が使用しているブランドは、「ヴァランドレー」と「マーモット」です。 選ぶときのポイントは、日本国内であれば湿度が高いので、ゴアテックスのシュラフカバーを併用することをおすすめします。
は行  
ピッケル 雪山とか、氷壁で使うもの。直訳すると「氷の斧」。 登山道具の中でも極めて用途が幅広く、たとえば雪の斜面を杖代わりにしたり、氷壁に斧のように突き刺して登る事もあります。あるいは雪や氷の斜面で、滑落しそうになったときに、滑落停止の為に使うこともあります。雪に穴を掘ったり、斜面を削って座れるようにしたりと、また、パートナーの確保の為の支点としても使ったり、実に様々な用途があり、昔から「山男の魂」と言われるものです。

国産、欧米ブランドと各種様々な製品があります。ちなみに、私が愛用しているブランドは国産の「ミゾー」です。製作者の溝淵三郎さんのお名前を取っているもので、私のは溝淵さんに特注でお願いしている、小西弘文オリジナルです。チタン製の超軽量ピッケルで、色は鮮やかなオレンジで、私の名前も彫ってあります。 世界に1本の私のお宝です。
ベースキャンプ 8000m級のヒマラヤ登山をする場合、まずベースキャンプを作ります。 だいたい5000mぐらいが建設地となります。登山隊の規模にもよりますが、基本となるのは、食事を作るキッチンテント(食事をする食堂テントをまた別に作る場合もあります)、隊員が寝泊りするテント、現地のスタッフ達が寝泊りするテント。金銭的に余裕があればPCなどを設置した機材テントなどがあります。

これらを総称してベースキャンプと呼びます。たとえば、4~5人の登山隊であれば、キッチンテントは、6畳のダイニングキッチンぐらいの広さがあります。現地のキッチンスタッフは、隊員の食事や飲み物の準備をしたりします。ただし、水道がないので、氷河の雪解け水を汲んできたり、氷や雪を溶かして水を確保しなければならず、結構な重労働です。

隊員が寝泊りするテントは、4畳に2人ぐらいの大きさです。テントの中にいる時は、明日に備えてゆっくりと休養をとります。休養日には、好きな音楽を聞いたり、本を読んだり、おしゃべりしたり。最近はPCでメールをやったり、インターネットを見たりする人も多いです。寝る時は寝袋を使用して寝ます。でも、意外に快適で、私は大変気に入っています。
ま行  
目出帽(めでぼう) 日本の冬山やヒマラヤでは、頭には目出帽を被ります。

どういうものかというと、頭からすっぽり被って目だけ穴が開いているニット帽の事です。寒いところや高所では、頭部の防寒が命に関わってきますので、これを被って頭部の保温や、顔面が凍傷になるのを防ぎます。頭の保温が保たれないと、思考力が鈍り、判断ミスが起きたりします。顔面の鼻や耳は出っ張っているので、凍傷になりやすく、それを守る為にも重要な装備の一つです。
や行  
雪質 日本の雪山の雪質とヒマラヤの雪質には少し差があります。

日本の方が湿度が高いので、水分の多いベタッとした雪になりますが、ヒマラヤでは比較的湿度が低いので、少しさらっとしています。日本では、寝袋の外に一枚カバー(シュラフカバー)を使用する事が多いですが、ヒマラヤでは寝袋だけの事が多いです。
ヨガ 私は、1986年の初めにインドの山奥でヨガの修行をしました。
帰国後、日本でもしばらくヨガの道場に通いました。
ヨガは、ヒマラヤで発生したものであり、特にヒマラヤ登山には大変有効です。 呼吸法、集中、放下、直観力、柔軟性、耐久力等が身につき、登山をする際には大いに役立ちます。もちろん、普段の日常生活にも取り入れています。

著書紹介

生き残る技術 「生き残る技術」
―無酸素登頂トップクライマーの限界を超える極意―
(講談社+α新書 小西 浩文  2009 年)

「はじめに」より
最初は、一介の登山家である私に、そうした・ビジネス戦士・のみなさんを満足させられるような「答え」を示すことができるだろうかと不安だったが、講演を通じてさまざまな人と出会って話をするうち、みなさんが悩み苦しんでいる問題は、私が八〇〇〇メートル峰の無酸素登頂を通じて乗り越えようとしている「困難」と、本質的に非パミール常に似ているということに気付いた。 昨年あたりから、「百年に一度の大不況」と呼ばれて、日本人の誰もが厳しい現実と戦っている。その一方で、苦しい現実に絶望し、残念ながら自らの手で命を絶ってしまう人も増えている。(略) 幾度となく、「死の地帯」に足を踏み入れて生還した自分の経験が、こうした世の中でお役に立つことはないのか――

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