BUNSHODO
前回までの文祥堂フォーラムのご紹介
第296回 Master of Suspense
   
~ヒッチコック劇場にようこそ~
2010年5月19日
“Master of Suspense”、アメリカ映画界がアルフレッド・ヒッチコックに与えた称号だ。

ヒッチコックの作品を見た誰もが彼が創り出すサスペンス世界の虜となった覚えがあるだろう。あるときはハラハラドキドキ手に汗を握り、又あるときはアット驚くドンデン返しの結末に目を見張る。私も、遠い昔、映画館の客席で恐怖に身を凍らせたり、息もつかせぬ話の展開に酔いしれたりしたものだった。

「ヒッチコック映画は文句なく面白い!」、これが当時の私の思いであった。

ところが近年、彼の映画にはストーリーの面白さの裏に極めて興味深い要素が隠れていることに気づいた。それはヒッチコックの人物像を知るいわば謎解きの面白さと言ってもよいだろう。

ヒッチコックは生前自分自身について語ることは滅多になかったし、いわんや、手記などの書き物は一切残していない。このことがヒッチコックをより一層謎めいた人物に仕立て上げている。

ヒッチコックの人物像に迫る唯一の手がかり、それが彼の映画なのだ。彼は映画の中で得意のサスペンスをカモフラージュに使い本人の人物像のヒントを我々に提供している。スクリーンの陰からヒッチコックの特徴ある声が聞こえてくる。
「観客の皆さん、分るかね------?」

アルフレッド・ヒッチコック、類稀なる映画の才人!

彼の生い立ちを辿ると共に代表的な作品の幾つかを紹介することで特異な人物像に迫ってみたいと思う。
(岡 茂光)











































岡 茂光氏写真
PROFILE ・・・・・・・・・・・・・・・・・

岡 茂光 氏 (おか しげみつ)
映画評論家
1944年1月 東京生まれ(小学校の当時より映画館通いが始まる)
1962年3月 麻布学園高等学校卒業(映画と野球に力を注ぎ成績は劣悪)
1967年3月 慶応義塾大学卒業(学部は商学部だったが最も興味を持った授業は文学部、津村秀夫氏の「映画論」)
1967年4月 日産自動車(株)入社。海外部門勤務を続け、その間、足掛け16年欧州滞在を経験する。滞在地は、ブラッセル、ミラノ、チューリッヒ、アムステルダム、ローマの4カ国、5都市。

欧州滞在中、休暇は殆ど映画のロケ地訪問に費やした。
アイルランド西部ガルヴェイ湾岸「静かなる男」(ジョン・フォード監督の故郷)
イタリア、シチリア島「ニューシネマ・パラダイス」「ゴッド・ファーザー」「グランブルー」
イタリア、ローマ「ローマの休日」「甘い生活」「自転車泥棒」「無防備都市」
イタリア、ヴェネチア「旅情」「ベニスに死す」
イタリア、アドリア海岸、リッチョーネ「激しい季節」
イタリア、アレッツオ「ライフイズビューティフル」
オーストリア、ウイーン「第三の男」
チュニジア、マタマッタ「スターウオーズ」
トルコ、イスタンブール「トプカピ」「007/ロシアより愛をこめて」
南仏、カマルグ地方「素晴らしい風船旅行」
フランス、ブルゴーニュ、ペルージュ「三銃士」
スイス、シルトホルン「女王陛下の007」
モナコ、モンテカルロ「泥棒成金」
アメリカ、モニュメントヴァレー「駅馬車」「荒野の決闘」「黄色いリボン」

2006年 日産自動車退社後、有限会社keura設立。主に若手工芸家の展示会企画、開催を行う。
尚、keuraとは日本の古語、「竹取物語」に出てくる言葉で“清らかな”の意味。
詳しくはkeuraホームページをご参照下さい。
同時に自己のブログを開設(現在のブログ名、新・徒然想)、内容は映画、スポーツ、料理、旅が中心。
2008年 大田区観光協会傘下、“モノづくり観光クラブ”及び“蒲田モダン研究会”のメンバーとなる。特に、松竹キネマの原点ともなった“蒲田モダン”に興味を覚え勉強中。
2010年 本年は松竹映画が最初の撮影所を蒲田に設立してから90周年を迎える。この節目の年に大田観光協会が企画、実施(10月中旬)予定の”今よみがえる松竹キネマと蒲田映画街”(仮題)に参画している。 本企画は松竹蒲田撮影所を偲ばせる映画上映とあわせ当時の流行の先端、蒲田モダンの一端をアピールするものである。



■ 講演内容 (講演資料より)

1.監督としてのアルフレッド・ヒッチコック

アルフレッド・ヒッチコック以外にも優れた監督は沢山居る。例えば、アメリカのウイリアム・ワイラー、ジョン・フォード、フランスのジュリアン・デュヴィヴィエ、ルネ・クレマン、イタリアのフェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティ等々の人たちだ。

しかしながら数ある名匠、巨匠の中にあってヒッチコックのみが抜きん出ている点がある。これだけは他の監督が束になってもヒッチコックには敵わない。それは何か?

ハリウッドの監督にはその人の作品を見ると幾つかのタイプに分けられると思う。
大作好みの、セシル・B・デミル、ジョージ・スティーブンス、デヴィッド・リーン
芸術家肌の、エリア・カザン、フレッド・ジンネマン、シドニー・ルメット
アクション得意の、ジョン・スタージェス、サム・ペキンパー、ドン・シーゲル
このように幾つかのタイプに分けられると思うがハリウッドきっての映画作りの職人となると次の三人が浮かび上がってくる。

ジョン・フォード、アイルランド系移民(1894-1973)
アルフレッド・ヒッチコック、イギリス、ロンドン生まれ(1899-1980)
ビリー・ワイルダー、オーストリア生まれでアメリカへ亡命(1906-2002)

三人の特徴は監督としての自分たちの手腕に絶対の自信と誇りを持っていること、又、金をやたらと掛けなくても監督の力量で面白い作品を作る能力を持っていることである。

彼等は批評家の意見、新聞の論調はまるで眼中に無く関心事項はただひとつ、多くのお客が映画館に足を運んでくれるか否かである。沢山観客が来てくれれば映画会社はもとより映画館も潤い自分たちも多くの収入を得て、それが更なる良い作品を生む原動力となる。

彼等はそれぞれ自分たちの得意ジャンルを持っていた。フォードの西部劇、ワイルダーの人情喜劇、そしてヒッチコックのサスペンスである。中でもヒッチコックは自分の得意技に対するこだわりが極めて強い。

監督名

ハリウッドでの監督作品

内得意ジャンル作品

J・フォード

36作品

西部劇 16作品

B・ワイルダー

26作品

人情喜劇 9作品

A・ヒッチコック

30作品

サスペンス 29作品

三人は又“監督とは絶対なり”を貫いてきた。中でもヒッチコックにその傾向が強い。彼は監督に比べれば俳優は泡みたいなものだと言明した。それでは泡といわれた俳優達は彼の事をどのように思っていたのだろうか?

アカデミー史上最大の謎はヒッチコックが一度たりとも監督賞の栄誉に浴さなかったことだ。
ならば、彼はフォード、ワイルダーに比べて評価が低いのであろうか?今のアメリカでのヒッチコックへの評価を見るとアカデミー賞未受賞が益々謎めいて見えてくる。

全米映画協会(American Film Institute)が10年毎に見直すアメリカ映画オールタイムベスト100作品のアンケートで多く登場する監督のベストファイブは以下の通りである。尚、カッコ内は順位を表す。

1位

S・スピルバーグ・・・5作品
シンドラーのリスト(8)ET(24)ジョーズ(56)インディ・ジョーンズ、
失われたアーク(66)プライベート・ライアン(71)

2位

A・ヒッチコック・・・4作品
めまい(9)サイコ(14)裏窓(48)北々西に進路を取れ(55)

3位

C・チャップリン、F・F・コッポラ・・・3作品

4位

J・フォード・・・2作品
捜索者(12)怒りの葡萄(23)

5位

B・ワイルダー・・・2作品
サンセット大通り(16)アパートの鍵貸します(80)

ヒッチコックが如何にアメリカで再評価されているのかが窺える。

尚、1位、市民ケーン 2位、ゴッド・ファーザー 3位、カサブランカ

2.謎に包まれた素顔 (生い立ち、趣味、性癖等)

ヒッチコックの素顔は謎に包まれている。それは彼自身が自分を謎めいた人物として演じきってきた事にも因るのだろう。その演じ方を彼の人生の中で最も栄誉ある一日を例にとって紹介したい。

彼の生い立ちは?又、子供の頃はどのような性格の少年だったのか?何故、犯罪に興味を持つようになったのか?等を限られた情報の中から紹介したい。

5歳のヒッチコックが経験した事件がもとで彼は人を怖がらせること、人を驚かせることに喜びを見出すようになった。彼の悪戯は時として度が過ぎるほどのものだった。イギリスとハリウッド時代に彼が仕掛けた悪戯の実例を二つ紹介したい。

3.作品紹介

「泥棒成金」 ―洒落た会話に素適なラブシーン―

この作品に対する評価はそれほど高く無い。しかしながら南欧の高級リゾート地モンテカルロで楽しげにメガフォンをとったこの作品にヒッチコックの類稀なるユーモアのセンスと会話の妙を窺い知ることが出来る。

ヒッチコックの最もお気に入りの女優がグレース・ケリー、彼女の煌くような美しさが印象的である。グレース・ケリーの美しさに引き寄せられるように映画界にカムバックした伊達男ケイリー・グラントとのラブシーンは映画史の中で最もゴージャスで美しいものだ。

「めまい」 ―ヒッチコックの哀しい愛の物語―

ヒッチコックの作品中最も難解でありながら最も重要な作品。この作品はもともと「死者の中から」という小説を映画化したものである。当初、映画会社はヒッチコックの提案した題名、「めまい」は地味すぎて客が来ないと猛反対した。しかしながらヒッチコックの強硬な主張により最終的に「めまい」で公開し大ヒットを記録、映画会社にとって嬉しい誤算となった。何故、ヒッチコックは「めまい」というタイトルにこだわったのだろうか?

フランスのヌーベルバークの中心人物でヒッチコックをこよなく尊敬していたフランソワ・トリフォーは次のように語ったことがある。「ヒッチコックは殺人を恋愛のように美しく描き恋愛を殺人の如く残酷に描く」。この作品は“恋愛を殺人の如く残酷に描いた”ヒッチコックの代表作である。

この映画の製作時点でのヒッチコックの精神状態を解明しないとこの映画の本当の意味が分らない。では、このときヒッチコックはどのような気持ちで「めまい」を作ったのだろうか?
そしてこの映画に込められたヒッチコックの想いとは何か?映像とエピソードを辿りながら紹介したい。

「北北西に進路を取れ」 ―追いつ追われつ、爽快なアクション・サスペンス―

ヒッチコックの作品中最長(137分)の映画である。しかしながらこの長さが全く感じられない全編スピーディに展開するサスペンスの大傑作である。

この作品のオリジナルタイトルはNorth by Northwest。これは辞書によると“北々西”ではなく“北微北西”である。一般的に“北々西”はNorth Northwestとなる。なぜ、彼は“North by Northwest”をタイトルとしたのだろうか?それを暗示している場面と共にこの謎を解いてみたい。

ヒッチコックは自分を映画の中に登場させることで有名だ。この作品で彼は自分の登場場面で見事我々観客に一杯食わせている。全くもって御し難い爺さんだ。

ヒッチコックは女優を美しく撮る大天才である。その典型例がこの作品。
今まで美しさの上からは特に目立たなかったエヴァ・マリー・セイントがヒッチコックの手にかかるとブロンドのチャーミングな美女に大変身するから不思議この上ない。

エヴァ・マリー・セイントとケイリー・グラントの列車内のエロティックなラブシーンも見所のひとつである。

4.晩年のヒッチコックと不幸な出来事

ヒッチコックは「サイコ」、「鳥」で今までに無く露骨な描写を使って女性の殺害、襲撃場面を撮るようになった。この変化はヒッチコックの主要作品を巡るエピソードとそれによって彼が受けた精神的ダメージが大きく影響しているように見える。

下記主要映画と幻の作品をもとに彼を巡るエピソードを紹介したい。

裏窓

1954年

グレース・ケリーを全作品で起用する考え

泥棒成金

1955年

作品完成後グレース・ケリーはモナコ王妃に

間違えられた男

1957年

べラ・マイルズ事件後、飲食過多で体調悪化、手術

めまい

1958年

鬱病に苦しめられながら作品完成、大ヒット

北々西に進路を取れ

1959年

人生最後の体調、精神安定時期

(判事に保釈はない)

キャンセル

ヘップバーン直前のキャンセル、彼女との確執でヒッチコックは精神的に痛手を蒙る

サイコ

1960年

苛立ちの中で作品完成、荒れた心が露骨な描写を生む?

(盲目の男)

キャンセル

ウオルト・ディズニーのディズニーランド直前
使用不許可により映画化キャンセル

1963年

ティッピ・ヘドレン事件

マーニー

1964年

グレース・ケリー銀幕復帰直前でキャンセル
ヒッチコックは悲しみと絶望を覚え以降の作品には
彼独特の冴えが無くなり僅か5作品を手掛けた後引退

再びフランソワ・トリフォーの言葉を引用したい。
「ヒッチコックは二人いる。本当の彼は小心で猜疑心が強く臆病でガラスのように繊細な心の持ち主だ。彼はそれを悟られぬよう帝王の如く映画界に君臨し誰にも邪魔されずにメガフォンを取りつづけてきた。だから誰もヒッチコックの正体は見破れなかった。
しかし、誰にも邪魔をされずに映画を作り続けてきたことこそ彼の才能の素晴らしさを物語るものである。もしも映画が再び音を失ってサイレント映画に戻ったとしたら生き残る監督はアルフレッド・ヒッチコックだけだろう。それほどヒッチコックは映像の魔術師であり天才だ。」

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