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第290回 満州国の遺産 〜満州国が毛沢東に残したもの〜 2009年11月18日
 短期間で退陣した安倍首相が評価されるべきは,首相就任後すぐに訪中して胡錦涛と会談し,日中歴史共同研究の開始を合意したことです。日中両国間の歴史共同研究はすでに始まりました。満洲を語ることは日中歴史問題を語ることでもあります。
 日本の満洲進出は侵略でした。しかし,日本の満洲経営はヨーロッパ列強の植民地経営とは大きく異なりました。日本の満洲経営は侵略でしたが開発でもありました。満洲を旅した漱石は,大連の日本を凌ぐ工場地帯の高い煙突を見て「東洋第一の煙突」といい,教会・劇場・病院・学校がそろっている撫順の市街地を見て「東京の山の手へでも持つて来て眺めたい」と書いています。
 夏目漱石が書いたように,満洲経済建設は日本国内以上の水準にありました。なぜこのような工業化がなされたのでしょうか?それは毛沢東時代の中国にどのような影響を与えたのでしょうか?当日はこのような問題をみなさまと一緒に考えてみたいと思います。
 歴史問題に正解はありません。国民一人一人の考え方が大切です。満洲を通じてみなさまと日中歴史問題を話し合えることを楽しみにしています。
(峰 毅)


第290回満州国の遺産〜満州国が毛沢東に残したもの〜

先生の紹介

第290回満州国の遺産〜満州国が毛沢東に残したもの〜

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文祥堂フォーラムの会場風景

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満州の画像

第290回満州国の遺産〜満州国が毛沢東に残したもの〜

文祥堂前の銀座の風景

文祥堂ビル

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PROFILE ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

峰 毅 氏 (みね たけし)
東京大学社会科学研究所
東アジア経済史研究会 経済学博士
1942年 旧満洲国奉天市(現中華人民共和国瀋陽市)に生れる
1946年 葫炉島-博多経由で愛媛県に引揚げ
1966年 東京大学経済学部卒業。財閥系化学会社に就職。
(調査企画部・肥料事業部・化学品事業部・国際部で調査・輸出・国内営業・海外業務に従事。この間社命によりアメリカ留学。ジョンズホプキンズ大学で経済学修士号取得。)
1994~99年 北京駐在(その後東京大学に戻り経済学博士号取得。)
2009年 東京大学経済学部の大学院講座「日中関係の多面的な相貌」において「満洲の工業化と日中歴史問題」を講義。



■ 講演内容(講演資料より)

1.満洲と日中歴史問題

「満洲国」は中国語では「偽満洲国」(略して「偽満」):
中国に行った時には「満洲」ではなく「中国の東北地方」といわねばならない。日本の満洲進出は基本的に侵略であった。しかし,日本の満洲経営は欧米の植民地経営とは大きく異なる。満洲を語ることは日中歴史問題を語ること。

夏目漱石の満洲旅行:
満洲を旅した漱石は,日本を凌ぐ大連工場地帯の高い煙突を見て「東洋第一の煙突」といい,教会・劇場・病院・学校がそろっている撫順の市街地を見て「東京の山の手へでも持つて来て眺めたい」と書いている
※1。日本の満洲経済建設は国内以上の水準にあった。

日本の満洲経営は日露戦争勝利の副産物:
日本は満洲が欲しくてロシアと戦ったのではない。日露戦争の勝利でたまたま満洲におけるロシア利権を獲得。資源が豊富で未開拓の満洲の魅力の虜になった。満洲経営のためイギリスの東インド会社をモデルとして満鉄を設立。国をあげて満洲経営へ。明治末から大正初期にかけて満洲ブーム。漱石の満洲旅行はその中でなされたもの。

侵略と開発:
日本の満洲経営は侵略であったが開発でもあった。「産業開発5カ年計画」では日本の最新鋭の技術のみならず,欧米からの最新鋭技術も導入して工業建設がなされた。その結果,日本の満洲経営では,西欧の植民地支配と異なり,戦前世界の最高技術水準を持つ重化学工業基地が建設された(特に,鉄鋼・電力・化学)。

満鉄調査部の限界:
満鉄調査部にはマルクス経済を学んだ優秀な若手研究者が数多くいた。彼らはマルクスの科学的分析手法により当時の中国経済社会や農村を分析した業績を残している。日本最高の頭脳集団として評価の高い満鉄調査部も,中国からの評価は厳しい
※2。しかし,天野元之助によると,日本敗戦直後の共産党は満鉄の調査活動を高く評価した※3。将来は中国からも評価を受ける時期がくるであろう。※4

歴史共同研究が日中間で始まった:
2006年秋安部新首相が訪中し胡錦涛と会談。日中歴史共同研究の開始が合意された。共同研究の日本側座長は北岡伸一東京大学教授,中国側座長は歩兵中国社会科学院近代史研究所所長。しかし共同研究は難航中。アグリー・トゥー・ディスアグリー
※5か?


2.日本の対外戦争を考える

日本の対外戦争:
日本の対外戦争は常に朝鮮半島が関与。日本の中国への領土的野心は1910年の韓国併合後。明治期の日本は,国防論から,朝鮮半島は地理的な形態として日本列島の脇腹に突き付けられた刃とみた。日清戦争は勿論,日露戦争も基本的には朝鮮半島をめぐる国際紛
※6
663年 任那日本府(朝鮮半島)に出兵。唐・新羅連合軍に敗退。
1274年 文永の役(元寇,朝鮮経由)
1281年 弘安の役(元寇,朝鮮経由)
1592年 文禄の役(秀吉の朝鮮出兵)
1597年 慶長の役(秀吉の朝鮮出兵)
1894年 日清戦争(李氏朝鮮への影響力をめぐる戦争)
1904年 日露戦争(日本の朝鮮支配が確立)
(1910年 韓国併合)
1931年 満洲事変
1937年 日中戦争
1941年 太平洋戦争

江戸時代の鎖国政策:
厳密な意味における鎖国ではなかった。外国情報入手に3つのルートあり,情報の中心は中国関連情報。
①長崎の出島のオランダ商人(欧州情報)および中国商人(中国情報)による民間ルート。
②対馬藩を経由した朝鮮からの準政府ルート(中国情報)。
③薩摩藩を経由した琉球からの準政府ルート(中国情報)。

琉球問題を巡る日中摩擦:
幕府は慶長年間に琉球王国を日本の支配下において属国とした。幕府は琉球の支配権を薩摩藩に委任。薩摩藩主の家来が現地に在留。国主代替わりの際は江戸へ使者を派遣。幕府は琉球の中国との冊封
※7-朝貢関係を容認して「両属」政策をとった。しかし,明治新政府は琉球を「内国」化して沖縄県とし,琉球を清朝の「冊封」体制から切離した。清朝はこれを黙認※8

日本の中国侵略への流れ:
日本にとって中国は先進文明国。文化は,明治期を除き,日本が一貫して輸入してきた。日本の対外戦争は殆どが朝鮮半島。江戸時代に琉球問題で中国と摩擦。しかし戦争には至らず。琉球王国を内国とした日本は日清戦争で台湾を領有。日露戦争後は朝鮮を領有。さらに,日露戦争で満洲権益をロシアから取得。満洲事変前後から軍部の力が強まり中国侵略が露骨に。その後,中国大陸,東南アジアと拡大し最終的には破滅へ。


3.関東軍とは?

「関東」について:
「関東」とは「山海関
※9の東の地方」の意味で満洲の地の総称。(「関東州」は満洲国に属さない大連・旅順地区。)この「関東」という言葉はロシアが最初に使用した。日本もその総称を引き継ぎ,軍や行政府の呼称にした。その最初が関東総督府。関東総督府は間もなく関東都督府に改組。

関東軍の誕生:
1919年シベリア出兵時に軍が関東都督府から独立して関東軍となる。(関東都督府は関東庁に)。関東軍の本来の任務はポーツマス条約で譲渡された長春・旅順間鉄道の守備。しかし鉄道守備隊にとどまらず,満洲における日本の権益を軍事力によって保護。ロシア革命後再び極東に関心を持つソ連を日本は恐れた。日本の対ソ総合戦略は関東軍が主体となった。満洲事変後,政治・経済・文化すべてを関東軍が満洲国を支配。

満洲国のすべてを支配した関東軍:
新京(現吉林省長春市)にあった関東軍の広大な建物は庭に松の木が見えて満洲国時代のものとすぐにわかる。現在は吉林省共産党が使用。その対面にある満洲国政府の建物は吉林省政府が使用。関東軍と満洲国の関係は中国共産党と中国政府の関係ににている。満洲国成立後の満鉄調査部は関東軍のスタッフとして機能した面が強い。

関東軍が主導した満洲産業開発(満鉄調査部が支援):

日露戦争勝利によりソ連の満洲権益を獲得

初期は満鉄を中心にした満洲経営の勉強

満洲国成立後は関東軍が政治・経済すべてを支配

将来の対ソ連戦争を不可避とみた(「満蒙は日本の生命線」)

独立した自給自足経済の建設

満洲産業開発5ヵ年計画
(鉄鋼・電力・化学への建設投資)


4.満洲の工業化

第1次世界大戦で一変した戦争形態:
戦争は第1次世界大戦を機に総力戦に転化。飛行機・戦車・潜水艦・毒ガス等の新兵器が登場。戦争期間は4年を超え膨大な量の砲弾や武器を消費し長期の消耗戦争となった。国家をあげての工業生産体制確立が必要に。満洲国では「産業開発5カ年計画」が生まれ,満洲の工業化が実施された。

満洲の工業化を高く評価したのはアメリカ:
アメリカの中国研究は冷戦中に対中国戦略を描く必要から発展。アメリカ議会上院下院合同の経済委員会が中国経済を3度報告
※10。アメリカ議会報告では日本により誕生した東北地方の重化学工業を高く評価している。そのベースはポーレー調査団の報告書。

ポーレー調査団:
アメリカ政府は,戦後賠償問題のため,日本の満洲における資産を評価する目的で,1946年にポーレーを団長とする調査団を満洲に派遣した。ポーレー調査団は満洲工業化の実態を初めて見たアメリカ人。現地で個々の工場を視察したポーレー調査団は,短期間に建設された満洲国経済・産業に対する驚異を率直に書き記している。ポーレー報告書はその後のアメリカの中国研究に大きな影響を与えた。

満洲国とは?
当時の日本国民は満洲国建設を単なる傀儡国家建設とは思っていなかったであろう。当時の日本は欧米の植民地主義とは異なった理想国家にする思いを持っていたのは事実であろう。満洲を旅した夏目漱石の紀行文からもその状況を知ることができる。「満洲国建設は一種のユートピア実現の試みであった」とする見方は現在の日本でもなお生きている。しかしながら,この見方を中国国民に理解させるのは至難。満洲国をどうとらえるかは日中歴史問題の大きな争点の一つ。日中両国のみではなく第3国,たとえばアメリカ,を入れた歴史の共同研究が有効かも。


5.超高圧送電網にみる満洲国の遺産

中国の電力バランス:表1
省内電力自給率:表2
満洲国の電力網幹線:図1
東北地方の電力網幹線:図2
計画経済時代においても東北では電力が省間で広く売買された(図3,表3,表4)

2002年から始まった電力自由化(市場経済化)において東北はモデル地区として選ばれた。(もう一つのモデル地区は市場経済の中心地である上海。)


表1:中国の電力バランス(単位:億kWh)中国の電力バランス(単位:億kWh)

田島俊雄(2008)『現代中国の電力産業』昭和堂,p.2。



表2:省内電力自給率(単位:%)省内電力自給率(単位:%)

田島俊雄(2008)『現代中国の電力産業』昭和堂,p.14。



図1:満洲国の電力網幹線満洲国の電力網幹線

出所:「満洲電業史」編纂委員会(1976)


図2:東北地方の電力網幹線東北地方の電力網幹線

出所:東北電力工業“史誌鑑”編委会(2002)


図3:吉林省内外電力供給(百万kW時)
吉林省内外電力供給(百万kW時)

出所:《吉林省電力工業志》編委会(1991)『吉林省電力工業志』中国城市出版社,pp216-218。


表3:1990年省間電力売買図(百万kWh)
1990年省間電力売買図(百万kWh)

注:1990年発電量(百万kWh):黒龍江省29,516、吉林省17,446、遼寧省43,394
出所:東北電力工業志編纂委員会(1995)『東北電力工業志』当代中国出版社,p166。


表4:1998年省間電力売買図(百万kWh)
1998年省間電力売買図(百万kWh)

注:1998年発電量(百万kWh):黒龍江省42,192、吉林省27,099、遼寧省60,080
出所:東北電力工業“史志鑑”編委会(2002)『東北電力年鑑1999年』遼寧科学技術出版社,p.35。


※1 夏目漱石(1909)「満韓ところどころ」『小品・短編・紀行』(夏目漱石全集第10巻)集英社,p.211,p.303。

※2 中国における満洲研究の第一人者である蘇崇民は,満鉄調査部業績に一定の評価を与えつつも,本質的には侵略者の被侵略者に対する調査と厳しく批判する(蘇崇民(1999)『満鉄史』(山下睦男・和田正広・王勇訳)葦書房,p.545)。

※3 天野弘之・井村哲郎(2008)『満鉄調査部と中国農村調査:天野元之助中国研究回顧』不二出版,p.37,p.167。天野元之助は満鉄調査部の調査活動の中心人物の一人。中国農業経済史の世界的な専門家である。

※4 しかし,他方で,満鉄調査部の一人であった野間清は,ヒントンやミュルダールの農村調査と比較して,「わたしたちの農村実態調査よりも農民の姿を生き生きと描いている」とし,「ミュルダールの農民の声は,わたしたちの慣行調査の農民の声よりは実体に近い」と述べる(石堂清倫・野間清・野々村一雄・小林庄一(1986)『十五年戦争と満鉄調査部』原書房,p.253)。また,天野は調査活動に出掛ける時には軍嘱託として活動したことを述べ調査の限界をも示している。野間の反省や天野の話は蘇崇民の批判と密接な関係を持っている。

※5 日本側座長の北岡伸一東京大学教授が,日中敵視共同研究の一つの目標として学術論文で使用した外交上の言葉。「アグリー・トゥー・ディスアグリー」とは「あなたの意見に賛成はできないが,あなたがそう考えるのは理解できる」の意味。北岡伸一(2007)「日中歴史共同研究の出発:事実の探求に基づいて」『外交フォーラム』20(5),p.20。

※6 司馬遼太郎(1997)『この国のかたち 四』文藝春秋,p.221。

※7 中国の皇帝から爵位や称号を受けること。

※8 中国が明治政府の琉球内国化を黙認したことは,明治政府のその後の対清朝外交政策に大きな影響を与えた。仮に,中国が沖縄は中国領であると主張すると,国際法上の専門家の話では,この主張は国際法上簡単には否定できないという。沖縄が日本領であるか否かに関するもう一つの分かれ目は,戦後佐藤内閣の下での沖縄返還である。この時点でもし中国がアメリカの沖縄返還に異議を唱えていたら,日中摩擦は一段と複雑になっていたであろう。余談であるが,最近日本語訳が出版されたフランス人による啓蒙書では,日本の領土領海問題を「・・・多数の島があるおかげで,日本は広大な排他的経済水域を有し,それによって面積を増やしている。この広い排他的経済水域は,この国の重要な切り札になっている・・・」と地図で図示して紹介している(ジャンクリストフ・ヴィクトルほか(鳥取絹子訳)(2009)『地図で読む世界情勢第:衝撃の近未来』(第2部)河出書房新社,pp.54-55)。フランス人による啓蒙書にも書かれているとおり,沖縄が日本領でないと尖閣諸島への領土権も主張できない。その意味で佐藤内閣は日本国益に貢献したことになる。

※9 山海関は河北省秦皇島市の地名。万里の長城の東の起点。華北と東北の境で戦争時の要所。

※10 第1回目はジョンソン大統領下の1967年,第2回目はニクソン大統領下の1972年,第3回目はフォード大統領下の1975年。異なる政権下での報告のため執筆者は異なる。

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