■「満洲国」は中国語では「偽満洲国」(略して「偽満」):
中国に行った時には「満洲」ではなく「中国の東北地方」といわねばならない。日本の満洲進出は基本的に侵略であった。しかし,日本の満洲経営は欧米の植民地経営とは大きく異なる。満洲を語ることは日中歴史問題を語ること。
■夏目漱石の満洲旅行:
満洲を旅した漱石は,日本を凌ぐ大連工場地帯の高い煙突を見て「東洋第一の煙突」といい,教会・劇場・病院・学校がそろっている撫順の市街地を見て「東京の山の手へでも持つて来て眺めたい」と書いている※1。日本の満洲経済建設は国内以上の水準にあった。
■日本の満洲経営は日露戦争勝利の副産物:
日本は満洲が欲しくてロシアと戦ったのではない。日露戦争の勝利でたまたま満洲におけるロシア利権を獲得。資源が豊富で未開拓の満洲の魅力の虜になった。満洲経営のためイギリスの東インド会社をモデルとして満鉄を設立。国をあげて満洲経営へ。明治末から大正初期にかけて満洲ブーム。漱石の満洲旅行はその中でなされたもの。
■侵略と開発:
日本の満洲経営は侵略であったが開発でもあった。「産業開発5カ年計画」では日本の最新鋭の技術のみならず,欧米からの最新鋭技術も導入して工業建設がなされた。その結果,日本の満洲経営では,西欧の植民地支配と異なり,戦前世界の最高技術水準を持つ重化学工業基地が建設された(特に,鉄鋼・電力・化学)。
■満鉄調査部の限界:
満鉄調査部にはマルクス経済を学んだ優秀な若手研究者が数多くいた。彼らはマルクスの科学的分析手法により当時の中国経済社会や農村を分析した業績を残している。日本最高の頭脳集団として評価の高い満鉄調査部も,中国からの評価は厳しい※2。しかし,天野元之助によると,日本敗戦直後の共産党は満鉄の調査活動を高く評価した※3。将来は中国からも評価を受ける時期がくるであろう。※4
■歴史共同研究が日中間で始まった:
2006年秋安部新首相が訪中し胡錦涛と会談。日中歴史共同研究の開始が合意された。共同研究の日本側座長は北岡伸一東京大学教授,中国側座長は歩兵中国社会科学院近代史研究所所長。しかし共同研究は難航中。アグリー・トゥー・ディスアグリー※5か?
2.日本の対外戦争を考える
■日本の対外戦争:
日本の対外戦争は常に朝鮮半島が関与。日本の中国への領土的野心は1910年の韓国併合後。明治期の日本は,国防論から,朝鮮半島は地理的な形態として日本列島の脇腹に突き付けられた刃とみた。日清戦争は勿論,日露戦争も基本的には朝鮮半島をめぐる国際紛※6。
663年 任那日本府(朝鮮半島)に出兵。唐・新羅連合軍に敗退。
1274年 文永の役(元寇,朝鮮経由)
1281年 弘安の役(元寇,朝鮮経由)
1592年 文禄の役(秀吉の朝鮮出兵)
1597年 慶長の役(秀吉の朝鮮出兵)
1894年 日清戦争(李氏朝鮮への影響力をめぐる戦争)
1904年 日露戦争(日本の朝鮮支配が確立)
(1910年 韓国併合)
1931年 満洲事変
1937年 日中戦争
1941年 太平洋戦争
■江戸時代の鎖国政策:
厳密な意味における鎖国ではなかった。外国情報入手に3つのルートあり,情報の中心は中国関連情報。
①長崎の出島のオランダ商人(欧州情報)および中国商人(中国情報)による民間ルート。
②対馬藩を経由した朝鮮からの準政府ルート(中国情報)。
③薩摩藩を経由した琉球からの準政府ルート(中国情報)。
■琉球問題を巡る日中摩擦:
幕府は慶長年間に琉球王国を日本の支配下において属国とした。幕府は琉球の支配権を薩摩藩に委任。薩摩藩主の家来が現地に在留。国主代替わりの際は江戸へ使者を派遣。幕府は琉球の中国との冊封※7-朝貢関係を容認して「両属」政策をとった。しかし,明治新政府は琉球を「内国」化して沖縄県とし,琉球を清朝の「冊封」体制から切離した。清朝はこれを黙認※8。
■日本の中国侵略への流れ:
日本にとって中国は先進文明国。文化は,明治期を除き,日本が一貫して輸入してきた。日本の対外戦争は殆どが朝鮮半島。江戸時代に琉球問題で中国と摩擦。しかし戦争には至らず。琉球王国を内国とした日本は日清戦争で台湾を領有。日露戦争後は朝鮮を領有。さらに,日露戦争で満洲権益をロシアから取得。満洲事変前後から軍部の力が強まり中国侵略が露骨に。その後,中国大陸,東南アジアと拡大し最終的には破滅へ。
3.関東軍とは?
■「関東」について:
「関東」とは「山海関※9の東の地方」の意味で満洲の地の総称。(「関東州」は満洲国に属さない大連・旅順地区。)この「関東」という言葉はロシアが最初に使用した。日本もその総称を引き継ぎ,軍や行政府の呼称にした。その最初が関東総督府。関東総督府は間もなく関東都督府に改組。
■関東軍の誕生:
1919年シベリア出兵時に軍が関東都督府から独立して関東軍となる。(関東都督府は関東庁に)。関東軍の本来の任務はポーツマス条約で譲渡された長春・旅順間鉄道の守備。しかし鉄道守備隊にとどまらず,満洲における日本の権益を軍事力によって保護。ロシア革命後再び極東に関心を持つソ連を日本は恐れた。日本の対ソ総合戦略は関東軍が主体となった。満洲事変後,政治・経済・文化すべてを関東軍が満洲国を支配。
■満洲国のすべてを支配した関東軍:
新京(現吉林省長春市)にあった関東軍の広大な建物は庭に松の木が見えて満洲国時代のものとすぐにわかる。現在は吉林省共産党が使用。その対面にある満洲国政府の建物は吉林省政府が使用。関東軍と満洲国の関係は中国共産党と中国政府の関係ににている。満洲国成立後の満鉄調査部は関東軍のスタッフとして機能した面が強い。
■関東軍が主導した満洲産業開発(満鉄調査部が支援):
日露戦争勝利によりソ連の満洲権益を獲得
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初期は満鉄を中心にした満洲経営の勉強
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満洲国成立後は関東軍が政治・経済すべてを支配
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将来の対ソ連戦争を不可避とみた(「満蒙は日本の生命線」)
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独立した自給自足経済の建設
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満洲産業開発5ヵ年計画
(鉄鋼・電力・化学への建設投資)