BUNSHODO
前回までの文祥堂フォーラムのご紹介
第280回 TRA3流 銀座の楽しい歩き方
     
〜 銀座の庭の美しさ 〜
2009年1月28日
<講演資料の続き>               1 2

■大倉会館・・・・・・男爵/大倉喜八郎(明治、大正期の実業家)が創設した大倉財閥。公共事業や教育事業に惜しみなく私財を投じ、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場等を渋沢栄一らとともに設立したことでも有名。大倉土木組(現大成建設)、あいおい損保、サッポロビールの設立にも関与。東京電燈(日本初の電力会社)設立にも助力、記念碑がカルティエ本店ビルに埋め込まれている。

■国際ブランド委員会・・・エルメスが委員長。グッチ、ディオール、ヴィトン、ティファニー、ブルガリ、シャネル、カルティエ、プラダ等11のブランドが銀座連合会の下部委員として結集。街作りにブランドが顔をそろえるこうした組織は、世界でも初めて。銀座には、丁目ごとの商店会、通りごとの会というタテと各業界ごとの集まりというヨコが連携し合って、機能している。

■ラグジュアリー・クロス・・・世界の4大宝石店が揃ったことから、よばれる通称。カルティエ、ティファニー、ブルガリ、シャネル、ミキモトが勢揃い。それぞれ、世界最大級の旗艦店として登場。2007年秋進出したブルガリ銀座店は、世界一の売り上げを誇る。ブランドをメゾン化する建て方は、エルメスが最初に取り組み、今や、各ブランドとも低層階にショップ、上層階にレストラン、バー、スパなどを設置するスタイルが主流に。今後展開するブランド系ホテル経営のテストマーケティングでもある。

■松屋・・・・・・・・・・ファッションのトップランナーを目指したい、という願いから、その守り神として屋上に「流行」にかけて『龍光不動尊』を祀る。江戸時代の町屋(武家屋敷)スケールが松屋デパート縦幅と同じ。現代の銀座に居ながらにして、江戸のスケールを体験できる。銀座の3大デパートの中で、トップの売り上げ。理由は、ルイヴィトンを1Fに招致したことが大きく貢献した。2008春の『三越・伊勢丹』合併による、四丁目の同デパートが大きく敷地拡張する中、松屋は地域密着型で、ミツバチプロジェクトを支援するなど、ソフト面でも銀座商いと連携をとる戦略。

■丸八碁盤店・・・・銀座の大地主、松沢家の末裔が経営する碁盤店。日本の名棋士たちの碁盤をつくる。店主は二代目、元棋士で碁盤作りに転身し本業とし、父は昭和の名人鬼頭徳吉。碁は、中国発祥で4000年の歴史をもつ頭脳ゲーム。子供たちの脳の鍛錬に碁が最適といろいろなプログラムに取り組む。【今でも碁については、人間の脳にコンピューターは勝てない】、プロ棋士の凄さは『200年も前の対局を正確に思い出して再現できる能力を持つ人々』であること、と主人は自慢する。

■サエグサ&アップル・・・・【アップル銀座進出ストーリー】銀座のキーマン・三枝社長がサエグサビル本社への招致するテナントを巡って行った英断。(2003年〜前身は住友銀行)招致をめぐり、有名ブランド10社からこの場所が欲しいという申し出が殺到。アップルはけっして高い提示額を示したわけではなかったが、他のブランドと圧倒的に違っていた点があるという。①カリスマオーナー/スティーブ・ジョブスの情熱。財務諸表を見せながら経営の革新哲学を語り、銀座への情熱を示したその語り口は他を圧倒していた。②お客様の望んでいるものは何か。銀座にあってほしい店は何か。大事なことは『画一性を避けたい』(銀座には家電店やコンピューター関連店がひとつもないので、そういう需要に応える店がひとつくらいあってもいい)。だが、アップル招致に関しては役員からアップルのシェアの低さ→集客が望めないのではとの声も上がる。結果として、その後、ipodの成功となり、アップルはつぎつぎと斬新なIT機器を展開。『デザイン性の高さ』『軽さ』『手軽さ』の方向で、産業界にも激震を起こすこととなる。

■銀座・ヨシノヤ・・・・創業100年、手縫いで仕上げた靴を売る老舗。「皮膚のような自分の足に合う靴」をコンセプトに、木型を作り4ヶ月かけて仕上げる。社長は毎日自社製の靴を履き、自宅から銀座本店まで歩くのを日課としている。伝説のシューフィッターによる世界一の靴作り・フィティング秘話が伺えるのもヨシノヤ靴店の魅力。
○『商品をして、全てを語らしめる』 ○『履きよさは、美しさ』コンセプトにこめられた、技術とおもてなし ○革一枚からの手作り靴、木型を磨く、オンリーワンの職人技 ○最高のフィッティングとは?
○銀座商いの極意〜靴以外に必要な知識〜 ○靴文化から見える、日本人の健康美学(お手入れ秘話)

■国際ブランド・ミキモト・・・・1899年、銀座に店を開いて約120年。現在海外に7店舗、このグローバル規模は、国内ブランドではミキモトのみ。国内に直営店8,デパート180,国内のみの売り上げでも、約350億円。ミキモトの牙城になだれ込む海外ブランド。ヴィトン松屋店(60億円)、シャネル&カルティエ(40億円)といわれる。ミキモトの会長曰く、『ブランドとは詰まるところ、信用。高くてもそれ以上の価値が見いだせること』。ミキモトをグローバル体質にするために、2年の歳月をかけ企業体質を改善した。常に大切にしているのは『銀座への恩返し』。ショーエリアでの学生コンペや国際ブランド委員会への提供、クリスマスシーズンの巨大もみの木デコレーションなど、銀座の街を『見て楽しむ街』にするために、積極的に活動している。

■銀座ミツバチプロジェクト・・・銀座のビルの屋上で、地元の人々がミツバチ10万匹を飼育。ミツバチはビルの合間を縫い、季節を通じて皇居や浜離宮へ採蜜を繰り返し300キロを収穫している。岩手県の藤原養蜂所の協力でサクラの咲く3月末から梅雨入りの6月後半までがピーク。新鮮な蜜は銀座の店でケーキやカクテルとして商品化されている。ハチの行動半径は、2,3キロあり、一匹が日に10〜20キロ往復する。銀座のビルの高さ制限が56メートルに制限されているのがハチの飛行高度に合うという。もともとフランスのオペラ座の活動がお手本だったが、蜜を集めるハチの受粉によって花が実となり、鳥が集まり、虫を捕る、そんな生態系のサイクルに自分も加わっている実感にメンバーは癒されているという。このプロジェクトの活動により、ゴミをつつくカラスが減るという効果もあらわれている。
【地産地消】の取り組み店
●アンリ・シャルパンティエ銀座本店(銀座産ハチミツマドレーヌ)
●文明堂(ハチミツカステラ)
●銀座清月堂本店(ハチミツ羊羹)
●三笠会館/BAR5517(カクテル・ハチミツ・カイピリーニャ)
●キャンティ(銀座ハチミツトリュフ)など12店舗が活動に賛同、この時期銀座ならではの【銀パチスウィーツ・コレクション】として銀座の風物詩として定着しつつある。

■朝日稲荷・・・・・・銀座3丁目の守り神、人気のお稲荷様。人気の理由は、パンパンとお参りすると、その音が屋上の奥の院まで届くという仕掛けがあること。当ビルに所属する『日本吹き矢協会』は古式を継承する倶楽部として、今も活動を続けている。稲荷の人気のため、最近では賽銭泥棒が頻発、苦肉の策として夕方17:00になるとシャッターが降りる仕掛けになっている。

■銀座・もとじ・・・・2007年に37年かけて完成したプラチナボーイを世に送り出す。オスだけの蚕の糸で織り上げられた着物は、ツヤがあり、丈夫で、独特のオーラを出すといわれる。銀座の柳で作られた大島紬が有名。プラチナボーイの発色を活用したレインボー・ジャケットをTRA3とのコラボで創作。若手芸術家、職人と農家、お客様をつなぐ商いこそが『新しい和服業界再生の道』として、社長自ら産地に赴き、新しい呉服の風を吹かせる。2008年2月には梅田阪急へ再三のオファーにより出店。メンズ館の主役となる。銀座もとじ通りを創り上げるべく、『男の着物』専門店も開業。コンセプトは『納屋』と『IT』。

■田屋・・・・・・・・・創業100年の歴史をもつネクタイの専門店。安売りネクタイが市場にあふれたバブル期、社長は取締役全員の反対を押し切って、店の存亡をかけて生み出した「銀座ネクタイ」の販売について、「次に来るネット商法」をにらんでソニーとのコラボレートに踏み切り、大ヒット。社長の教訓「全員に反対されるところにこそ、チャンスがある」。

■教文館書店・・・・・「お客様第一主義」を貫く老舗。本の取り寄せを2日以内にすることで有名。新しいアイディアを育もうとする社風があり、先代の社長が情報雑誌「ぴあ」の育ての親になったことも有名。教文館書店から独立した(98年)児童書専門店「ナルニア国」よりデビューした子供の本も数多い。「未来のお客様を大切にする」がコンセプト。

■銀座三越・・・・・・・・・天和3年(1683年)徳川綱吉の時代。三越百貨店の前身である呉服店主、越後屋八郎右衛門が江戸市中にまいた引き札(広告チラシ)が話題になる。「現金安売り掛け値なし」という破天荒な新商法が功を奏して大成功。この伝説のキャッチコピーは簡潔、意を尽くしているという点で日本の広告史上、最高の傑作といわれる。つまり値段は一切掛け値なしの正札販売、配達もしないし掛け売りもしない。一切店頭での値引きなしの現金取引。その代わり必要な分だけ割合勘定で切り売りする、というのである。それまでは、年2度の節季払いという掛け売り商法が常識で、呉服などはみな一反単位で販売し切り売りなどは絶対にしたことがなかった時代。この時期に越後屋が始めた新商法は、まったくそれまでの商業常識を打ち破るものであった。商人としてのフロントランナー・三越の伝説的逸話である。そして、時は2009年を迎え、名門百貨店(皇室御用達に強い)三越と新市場を開拓する伊勢丹の合併で新しい百貨店が誕生。「十人十色」から「一人十色」お客様ニーズの変化に、百貨店の新たな方向性を探る。

■山野楽器・・・・活気的な薄型軽量電子ピアノの開発など、ユニークな営業戦略。グニャリ感のような〜柔軟なアイディアの発想〜素人の目線をかたくなに守りぬくプロを育てる。コンセプトは『楽器以上のものを作る』。教材付ギターや大正琴の入門セットなど新しい価値を付加して新商品を世に送り出している。

■和光・・・・・・・・・・・取り扱う商品の贈答品としてのステータスは日本一。銀座のシンボルタワー、服部セイコーによる時計台(築約70年)と、曲線美を描き出すショーウインドウは、「世界の和光」を演出。ショーウインドウのデザインは年八回変わるが、コンセプトは常に「ようこそ、銀座へ」。銘菓、カヌレ・ド・ボルドーも有名。1932年服部時計の本社ビルとして建てられた、このネオ・ルネッサンス建築は、関東震災後、災害や地震を考慮してすべて天然石が使われ、文字盤にはブロンズのアラベスク(唐草)の透かし模様があしらわれている。竣工当時は、塔の下にあるドイツ製の重量時計が振り子式時計を動かしていて、熟練技術者が毎日見回り、僅かな遅速も調整していたため、1分とずれることはなかった。現在は精度の高い最新のセイコークオーツ時計を用いており、ウエストミンスター式チャイムで時報を告げている。ビルの老朽化にともない、改装のため2008年1月より約1年間休館し【ステータス衣替え】。当初建て替えも検討された建物も、東京都から東京を代表する建物として重要な価値があるとして指定されたため、洗浄してひび割れを補修する方法がとられることになった。当初のネオ・ルネッサンス建築に2008年11月リニューアルデビュー。ステータスのショーウインドウも期間中これまでと変わらずデコレーションし、銀座のお客さまにウインドウの楽しさを届け続けた。

■木村屋総本店・・・創業130年、米糀を用いた天然酵母菌でつくった酒種あんパンを売り出す。明治2年明治天皇の侍従をしていた山岡鉄舟が店に訪れ、『花見の際に明治天皇に“あんパン”なるものを召し上がっていただこうとの申し入れ。創業者木村安兵衛は驚くが、洋物のパンをどう日本的な感覚の食べ物にできるかに知恵をしぼる。その結果、桜の塩漬けを入れることを思いつき、吉野山から取り寄せた八重桜の塩漬けを真ん中に埋め込んだところ、絶妙なバランスがうまれたという。天皇も感激したおいしさだったと伝えられ、以降「桜あんパン」として代表的な日本の味となる。現在の4丁目ビルは自社工場兼店舗をかねそなえており、毎日一万個のあんパンが売れるという。

■天賞堂・・・・・・・・キューピットが目印の創業130年、時計、宝飾品など舶来品販売の老舗。鉄道模型にも定評があり、「世界に天賞堂あり」といわれヨーロッパなどではブランドとしても最大の評価を得ている。社長のコンセプトは『価値を生み出す審美眼』。現在、模型新幹線(N700系)スーパーサウンドが人気で、実際のホームにいるような臨場感が格安で味わえると評判に。今や、時計・宝石商は銀座に300あるともいわれ、その中で『専門店として』生き残るためには、『フェイスtoフェイス』のおもてなしこそが不可欠だという。宝童稲荷建て替えに、町会長として尽力。2009年10月に多くの支援を得てリニューアルしたお稲荷さんがお披露目。

■高橋洋服店・・・・・創業100年、銀座で一番古い紳士服テーラー。3代目高橋社長のコンセプトは「お洒落は教養」。その心意気が銀座で一番カッコイイ男性と囁かれる所以か。

■松崎煎餅・・・・・・・創業200年、瓦煎餅の老舗。7代目松崎社長は、瓦煎餅に「色」を載せるといった新たな商品づくりに挑戦。「伝統とは、更新し続けること」を信条とし、日本一美しいと言われる「並木通り」で宝童稲荷を守りながら銀座商いを続ける。色つけ瓦煎餅が評判を呼び、新入学等お祝い品として、オリジナルな品がほしいと注文が殺到している。

■対鶴館・・・・・・・・・初代は銀行業を経て明治期に銀座で初めての旅館を経営、当時新橋駅開通によって駅前商店街となった銀座に、いち早く外国の空気を持ち込んだ立役者といわれる。1975年ビル建て替えの際に銀座のリソースを活かすために銀座の象徴「赤煉瓦」にならい、赤煉瓦ビルを建設した。常に銀座のために何か出来ないかと考える先代が指し示した「並木通りの舗道の色を傘や車のルーフに映える色にしよう」「並木通りの街路樹は女性が好む菩提樹のリンデンにしよう」など、世界一の並木通りづくりへの情熱と工夫が今でも継承されている。

■エルメスジャポン・・・・銀座進出までに10年。小松ストア社長が15年前にエルメス斉藤社長(人柄良く見識あり)を見て、国際ブランド委員会の組織化を托した。小松社長曰く『銀座の店主には、日本一の商店街のために、他の商店街にない結束力、商い力を高めようとする姿勢が強い。銀座で必要なこと【資本の論理+○○】この○○をもてる商いをすることが生き残りのミッション』。

■大理石の地図・・都営バス乗り場のベンチ横にある、銀座の見所に赤星印が付けられている地図。銀座ならでは大理石でできている。銀座見所の4要素は「芝居」「画塾」「商売」「短歌」。

■東京鳩居堂・・・・・創業340年、和漢文具の老舗。熊谷直実の子孫が興したといわれる。店のコンセプトは、「すべては自然の恵みから創られていることに感謝」。特に墨でかかれたものは、千年経っても色あせない。墨の文化があればこそ、日本始め中国、韓国の歴史が残っている。

■銀座千疋屋・・・・・・・・・フルーツポンチを考案したスイーツの老舗。海外のフルーツを輸入、フルーツを使ったパフェもこの店から生まれた。商品券を創り出したのも千疋屋が最初で、当時その美しいデザインの商品券が話題になった。

■銀座あけぼの・・・全国に100店舗を越える店を持ち、あけぼののお菓子はどこででも手にはいるが、イチゴ大福だけは銀座本店の他6店舗でしか手に入らない。当初、銀座オリジナルとして、5年前に開発したところ、口コミで人気が出て、今では一日700個売れるヒット商品。工場から午後2時に入荷し、午後5時には売り切れる。イチゴの周囲を挟んでいるあんこのバランスが絶妙。白玉粉と餅のブレンドに秘伝の技あり。12月〜3月の限定品。和菓子ブームの火付け役ともいわれる。

■三笠会館/BAR 5517/LA VIOLA・・・・・バーテンダーの道50年というベテランシェイカーが、銀座ミツバチのハチミツをつかったカクテルを振る舞う。メニューは、はちみつ・カイピリーニャなど4種類。ほのかなハチミツの薫りを楽しめる。また、1階のバールでは、銀座ハチミツカプチーノ、ハチミツアイスカフェラテ、銀座ハチミツ&バニラアイスなど、期間限定で楽しめる。

■ロイヤル・クリスタル・カフェ・・・・・ドトール創業者・鳥羽会長が私財を投じて建てた、『世界一のコーヒー・カフェ』。調度品、美術品も世界の一流をそろえ、まるで美術館にいるような至福なひとときを味わえる。毎朝、鳥羽会長自らその日焙煎状態をチェックするという力の入れよう。口コミで評判を呼びいつ行っても満席状態。今後、銀座4丁目のカフェも銀座に相応しい格調高いオープンカフェにリニューアルを計画している。

■銀座テイラー・・・・創業60年、歴代総理の服を創る店として有名。銀座の帝王とよばれた2代目店主がバブル期の借金を抱えて倒れて以来、専業主婦から社長になった女性オーナーが銀座テーラーの再生をかけて立ち上がる。老舗が体質改善をして生まれ変わるときの苦しみ、人員削減からの出直し、ブランドをアピールする1分間戦略、新しい経営手腕をもつ若いパートナーとの出逢い、古い職人のやり方を変える、バーチャル・オーダーシステムを育てる,ITを有効に使いこなす、常に商品を進化させる、テーラー学校を創設。。。自分にやれることを次々と行動に起こし、ついにはテーラー再建に成功。本社ビルを夜若手アーティストに提供したり、場の提供にも力を注いでいる。生き抜くチカラのコンセプトは『生き残るものは強いからでも賢いからでもない。環境に最も適応したものである』で、10年、20年先にお客様から「そうか、銀座テーラーは洋服屋だったのか。。」といわれるように、進化し続けられることが夢、とは鰐淵オーナーの言葉。

■銀座壹番館・・・・創業80年、英国製生地による仕立てを先々代が英国で学び、開業。一着30万円から80万円が中心。『皮膚のような洋服を創りたい』チームで服を創るが信条。先々代が洋服屋になろうと夢を描いたのは、赤坂の洋服屋での修行中に、一着のテールコートが持ち込まれたとき。中国人の職人が仕上げたというその燕尾服は美しい線、立体感のある上質感にあふれ思わず息をのんだという。銀座に開業したころ、第一号のお客の注文は『丹前のように肩の凝らない洋服を創ってくれ』だった。何度も何度も仮縫いをやり直し、ようやく創り上げた一枚が一番館の出発点。このお客様が、次次と新しいお客様を紹介して下さり、ようやく店が軌道に乗り始める。一番館のコンセプトはこの日から、『着心地の良い服を創る』。この他にも、サービスカー戦略や『銀座百店会』の発足、など、銀座を盛り上げるための仕掛け人でもある。

■銀座の主・三亀・・・・・・・・・・2ヶ月に一度、4丁目の東京三菱銀行銀座支店の4階に30名の銀座のリーダーたちが集まる。銀座1丁目から8丁目までの15町会と並木通り、スズラン通り、数寄屋橋通りなど15通り会の会長たち。その中でも、銀座の番人とよばれているのが、三亀のご主人。90歳級の長老が居る銀座連合会のなかでも68歳は若手だが、行動派としての信頼が厚い。常に、銀座の変化に敏感で、『銀座ルール』を商店街で発言しつづける骨太論者。銀ブラを阻害する店を許さない。パトロールして、注意して歩く。本業は、割烹『三亀』の主人。90歳をすぎた柳瀬会長〔ヤナセ〕、一番館会長など近隣のオーナーたちもご贔屓。店は、1947年開業。店名は『三井、三菱、三越』など伝統のある会社には『三』が付いている、何といっても三脚はバランスが良い、それに鶴亀の亀をとっての命名。先代は果物屋。休みの日の楽しみは『全銀座会』の旅行か、モーツァルトを日がな聴くことだという。

■有賀写真館・・・・・創業100年。貿易商を目指していた先々代が、写真に魅せられ京都の著名写真家の元で修行をする。仕事のやり方にセンスがあり、直ぐに一番弟子に。その時、ドイツ人写真家が撮った生写真をみせてもらい、その美しさに感激、ドイツ留学を決意。周囲が反対する中、当時蓄電池を発明して一躍世界にその名を知られた島津製作所の創始者・島津源蔵が『若いときに外国を知る』ことは重要だ、と説いて応援してくれる。写真家としても、科学的技術習得において優秀だった彼はドイツの工科大学にも進み、帰国後、銀座に店を開く。新しい技術のポートレートは当時評判になり、瞬く間に店は軌道に乗るが、関東大震災で全焼失。その時に再生するために力を貸してくれたのが、資生堂の先代会長福原信三氏だった。資生堂の本社をギャラリーとして貸してくれ、『写真展を開いたら』と提案もしてくれたという。銀座のご縁によって生き延びたことに感謝し、そのご写真家のためのテキストや写真館おもてなし集など出版し、後生に残している。中でも『おもてなし会話のポイント』として、『結構なお品ですが、お値段がはります』と『お値段は少々張りますが、結構なお品です』とどちらがベター表現か。。。などと、具体例を示した著者は、今でもデパートの研修にも使われるベストセラーであるという。

■洋菓子舗・ウエスト・・・・創業65年、ベートーベンの胸像が店内のゆったりとした雰囲気をかもしだす。多くのファンが、『打ち合わせでは絶対使わない』『一人の時間を楽しむ店』としてその名を上げる。座り心地の良い椅子、コーヒー・紅茶おかわり自由、たおやかに流れるクラシック音楽、銀座ウエストのコンセプトは『お客さまにゆっくりしていただく』。先のべートン像は、まだ世の中に蓄音機がなかった時代に、
店で音楽会を開きお客様をおもてなしした時のなごりとか。当時は、専属のDJまでおいたという。ウエストの菓子は、フランス菓子と違って、香料やシロップには凝らない。先ず原料、粉とバターと卵にこだわってきている。余計な物は入れない、がポリシー。店内には未だに、昭和20年代に店内でつかっていたレコード・キャビネットが今も使われている。

■茶・銀座・・・・・・・・日本茶の老舗。日本茶の極意を伝えるために、「日本茶インストラクター」を育てている。カウンター越しに茶ムリエと茶談義するのも楽しい。2、3階では禅モダンな雰囲気の中でその月に相応しいお茶とお菓子を楽しむことができる。

■刀剣・柴田・・・・日本刀は日本独自の鉄の文化財。当代随一の日本刀の目利きが終戦直後「日本刀」に対する占領軍の違和感は大変なもので、当然マッカーサーは武器とみなしていた。昭和23年(1948)年ごろ、それに反旗を翻した人が柴田刀剣店主。日本刀を紹介する月刊誌を創刊し、日本刀は独自の文化であり、同時に日本の文化と切り離せない文化的美術品でもあることを説いた。武器刀剣没収の指令が下る中、柴田店主はGHQに呼び出される。腹をくくって日比谷に出頭、「名刀とは、姿がよく玉鋼を使ったがゆえに滑らかな肌を実現できた。じっと刀が語りかけてくる」と力説した。東京・上野の国立博物館に所蔵されている「備前長船景光」が最高の一降り」と鑑定。手にすると、その美しさに手が震え、何時間でも見ていたいと思わせる魅力がある。「刀に酔う」そんな感覚を持つ逸品。その名刀を抱いて死ねたら。。。というほどの惚れ込みようだったと言われる。一昨年、83歳で他界された。

■大黒屋・・・・・・・・創業400年。江戸時代には「卵売り」でデビュー、風月堂に卵を卸していた。(独占販売)時代が変わり明治期、海産物屋に早変わり。創業当時の2階では、干物や昆布を干していて、街角まで香りがしたという。その後、ファッションが注目され始めると明治末期バッグ屋に転身。時代の要請に応えて波を乗り切るサーファー商人。特に、デパートが進出して後追いでバッグを売り始めたことを見るやいなや、「扱う商品が被ると大手にかなわない」と直感的に判断。直ぐに路線を変え、コンセプトを【デパートにないデザインバッグを売る店】で売り出したことは、大黒屋のしたたかさを示している。マダムがヨーロッパに買い付けに行き、卸値なので、リーズナブル。和光、三越で高級バックを買うお客様が別腹の魅力で1コ・2コ買う。また、日本のバッグ職人は牛一頭分を使って高級バックを作るので、切れ端が出る。それを使って残り革でバックをデザインし創ったバックはまさに【誰も持っていない】オンリーワンバッグ。デザインには価値を高める力があることを商いで実証してみせた。また、バッグマイスターの堀内氏の手がけるバックが評判。ゲンターラと名付けられるそのバッグは完成まで3ヶ月待ち。【あなたの理想のバッグがここにあります】がコンセプト。

■竹葉亭・・・・・・・・・江戸末期創業、鰻専門の老舗。現別府社長は6代目。中国では酒のことを『竹葉』と称した。その故事に因んだ屋号。当時江戸前の鰻は美味しいと評判であったが、各家で捌いて蒲焼きにするのが常。ほとんど女性も仕事をしていた江戸時代には、『蒲焼きにした物が欲しい』というリクエストが相次ぎ、魚屋が鰻を焼いて商品化したのが蒲焼きの始まり。竹葉亭には腕利きの鰻職人がいて、伝統の味を守っている。魯山人の陶器所蔵は、銀座の老舗の中でも特に多いといわれる。

■若松・・・・日本で初めてあんみつを作ったスイーツの老舗。昔ながらのさわやかな蜜の味に、ファンが多い。

■ナカヤシャツ店・・・創業100年、格の違うシャツを作るシャツ職人の店。シャツしか作らない、どんなシャツでも作るがモットー。人間にジャストフィットするためには、【肩の採寸が全て】、その採寸を思い通りに裁断するためには、包丁で切るのが一番と今日に至るに包丁で布を切り、なめらかさを出す工夫。同布でアンダーショーツを作り、お客様にとって、世界でひとつの下着も提供している。

■香十・・・・・・・・日本人が自ら育んできた「香」の文化を今に伝える伝道師が社長。香りは6世紀中頃中国から仏教と共に伝えられたもので、いわゆる「祈り」の香が発祥。8世紀に来日した鑑真和上も経典や漢方薬と共に香りの知識・技術を伝えたと言われる。それが平安時代になると、貴族たちの間で衣服や頭髪、室内に焚き始めるなど「薫物」と呼ぶ生活を楽しむための香に変化。室町時代に入り「香道」として確立されていく。香十では、「外国の文物を、自らアレンジして和の文化へ昇華させてしまう日本人の知恵」への感動をお客様につたえたい、がコンセプト。現代では、「聞香」にリラクゼーション効果が認められたこともあり、今後益々その市場は広がりそうである。香十本店のフロアには「香楽庵」ギャラリーも併設され、多くの香道ファンを愉しませている。

■ファンケル・スクエア・・・・もとは和装小物の老舗、白牡丹(はくぼたん)のビル。2003年にファンケル解説したエステサロンやクリニック、カフェなど、美と健康にこだわった情報発信基地。中には10メートルの滝あり、癒し空間を演出している。

■銀座ワシントン本店・・・・・・・創業80年(1933年)、銀座5丁目に生まれ【靴を通して、靴と銀座の文化の発展】に尽くすことが会社としてのミッション。特に、フットケアに力を入れており、魚の目など足の痛みを解消するケアに定評がある【フットケアハウス・セリナ】のドイツ式・フス・フレーゲ。足の手入れをしてくれるのは、フス・フレーガーと呼ばれる専門家。特に、平成期から【サンダルブーム】が広がり、素足で靴を履く女性が急増。それに伴い、フットケアが注目され、ワシントンは急速に【ケアとオリジナルの靴をご提供します】のコンセプトで発展する。今では、伝説のフス・フレーガーを生み出すまでになり、フットケアで独立する人も少なくない。

■岩崎眼鏡・・・・・・・・銀座で創業明治28年(113年)、『快適な視生活のための眼鏡作り』をコンセプトに、常に最新の技術を提供し続けている。【ハイ・ビジョン=そのお客さまに合った眼鏡を世界中から集まる選りすぐりのフレームと組み合わせて提供】ミュージアム・グラスは美術専門家も愛用する優れもので、デザインもバリエーションに富んでいる。店の屋上に掲げられるウジャットは、古代エジプトの代表的な護符(お守り)で、天の神ホルスがセト神にむしり取られた左目を、トト神の助けで取り戻したという神話から、この目が治癒眼【ウジャット】として、霊験あらたかな護符となりこの種の様式を身に付けることが普及。店内には、
エジプト出土の各種ウジャットや人間国宝により制作ウジャットが展示されている。

■小松ストアー・・・・・・・・現在建て替え中の「銀座小松ビル」「別館」「小松アネックス」は既存建物を解体後、2棟の商業ビルになる(三井不動産共同)【小松社長】といえば、銀座の大旦那らしい言動で有名だが、昭和30年台にビル建設ラッシュによって、この小松ストアーの土地の小判騒動は語りぐさ。当時女性のファッション専門店として時代をリードしていた小松ストアは、木造から鉄筋建設なりそのため地下掘削をしていた際、小判208枚が発見され、小判史上もっとも金の含有量が高い慶長小判や一分金であったという。その発見に対し、文化財保護委員会の判定が天下に下されると、小松ストア社長はこう述べた『これだけ話題になって、大いに店の宣伝になった。小判以上の価値があり、喜んでお国の物にしていただく』と一早く所有権を放棄したのである。この心意気に巷からは『さすが、江戸っ子!銀座人。粋だねぇ。。』と小判より、社長の言動の方が大いに話題になったという。【小松ストアが開発した商い】現在デパートで当たり前のようになっているショッピングバック。ロゴの入ったお洒落なデザインの紙袋の原点はここにある。小松ストアーの紙袋を持ち歩くことで、そのまま宣伝になるという考えは賢明かつ江戸っ子好みの精神を階間見るようである。この他にも、団地サイズの家具の開発をしたことで知られている。

■松阪屋・・・・銀座6丁目の再開発計画で、ビルの高層化を巡り『街の回遊性を問う』地元と協議が難航していた『銀座景観論争』は、松阪屋が「銀座ルール(高さ56メートル制限)」を受け入れ、高層化を断念する形で事実上決着した。実際には、中央区は高さ制限の他に、外観デザインや色制限を設けており、今後の焦点は、『銀座らしい街並み』に相応しいデザイン・色に焦点が移る。今後、協議決定ガイドラインにもとづいて、09年より着工される見通し。地上15階、地下2階のビル建設の予定だが、あずま通りをはさんだ昭和通り寄りの区画もあわせて敷地としている。『デザイン協議会』では、街として『銀座らしいデザインを考える良い機会』と捉え、松阪屋ビルは銀座で初の大型案件となるわけで、今後の銀座建物のデザインや色のモデルになる可能性が高いと、内外共に注目されている。

■黒田陶苑・・・・・・・・1935(昭和10)年創業、今年70周年を迎える、陶器専門の老舗。北大路魯山人の陶磁器の専売舗「黒田風雅陶苑」として開業し、その後他の若き陶芸家を世に送り出すようになり「黒田陶苑」と名を変えた。魯山人の手による篆刻看板「風雅陶苑」(写真)は、戦災で店舗と共に跡形もなく消失、しかしその美しさは今も伝説として語り継がれている。黒田陶苑の持つ創業のこころは「魁(さきがけ)」。革新が伝統に変わる瞬間を見続けてきたという2代目ご主人黒田和也氏。「魯山人始め彼らは常に先鋭の気風をもち、新しく美しい陶磁の美を追究していた芸術家。黒田陶苑とともに時代を歩んだ陶芸家の多くは、後に大家となり、昭和の陶芸界を代表する存在になっている」。銀座が文化の発信地という街のDNAが大きく影響している実例である。ネット上で、「陶芸図鑑」「陶心雅報」を開催し、「陶器の審美眼の育て方」「箱書きの見方、ひもの結び方」など、陶芸知識を広める試みをしている。

■久のや・・・・創業170年、糸商として出発した和装小物の老舗。七本原(しちほんはら)(正倉院御経巻の五色に金銀を加えた七色の組紐)のデザインで有名。七色は古来、厄除けに使われ、幸運を招く色とされた。最近では風呂敷の七変化(瓶包み、ショルダーバック、本包み、お使い包み、傘包み等)利用法を提案し、若い女性に指示を得ている。現社長は他店とのコラボレートに積極的で、若旦那会もつくり、あらたな銀座情報発信に取り組んでいる。(170年プロジェクトとして、壹番館、サエグサ、大黒屋、ぜん屋など銀座の老舗とコラボレートを成功させた)

■割烹中嶋・・・・・食通で知られる魯山人は、政財界人を集め、自ら作陶した器でもてなし、大評判をとった。その時の料理長が開いたお店。店の外の碑には「従是(これより)くわんおん道(観音堂の意)」と刻まれている。この碑は高野山の僧侶から初代が拝領したもの。店内の個室お座敷には、魯山人の掛け軸や陶器がさりげなく飾られており、“十の内一つを常に新しくしていく”というご主人のコンセプトに基づいた美しい割烹料理と共に楽しめる。

■蕎麦よし田・・・・・創業130年、蕎麦の老舗。明治生まれのコロッケそばは、ハイカラ女将が考案したオリジナル。老舗ならではの看板は夜にはライトアップされ、思わず暖簾をくぐりたくなる仕掛けが心憎い。31日大晦日も12時まで営業しており、美味しい年越し蕎麦が食べられる。

■夏野・・・・・箸の専門店。全国各地の箸が1500種類はそろっている。特に子供の箸や食器の品揃えには驚く。店主の高橋オーナーは、「究極のお箸」(三笠書房)という本を出すほどのお箸好き人間。

■青木・・・・日本一美味しいガリ(しょうが)を出す鮨屋として有名。フランス人画家ビュッフェが贔屓にしていた店として知られている。彼は青木の鮨以上にガリを愛しフランスまで空輸で送らせていたほど。

■空也・・・・一店主義の和菓子の老舗(明治17年創業)。開店と同時に売りきれ、常に「本日売切申候」の看板がかる伝説の最中を1日8000個売る。「最中」という字は、「まっさかり」の意味、だから最高の状態でお渡しできるタイミングでしか売らない、が信条。夏目漱石の『坊ちゃん』にも出てくる銘品。

■宮本商行・・・・銀座の並木通り沿いで、ひときわ落ち着いた佇まいを見せる、皇室御用達の銀器専門店である。創業は明治13年。設立時に創業者の宮本勝氏は外国人に煙草入れや象嵌の額の販売を開始し、次第に宮本商行の商品が外人商館、外国公館に広がり、皇室、各宮家より注文を受けるようになった。外国人の往来が頻繁になり出した、明治23年(1890)頃から、贈り物、土産物として銀製品の人気が高くなり、皇室はもとより、各宮家、外務省、諸官庁に至るまで、宮本商行の商品は広く知られ、「銀器の宮本商行」として名を上げるようになった。宮家の食卓を彩り、迎賓館の晩餐で諸外国からの国賓をもてなす。昔から宮内庁御用達の老舗ではあるが、最近では天皇皇后両陛下が愛子さまに贈られた、銀のスプーン、フォーク・カップの3点セットに、愛子さまのイニシャルをとってアルファベットの『A』を彫ってお納めしたとの事。銀職人の伝統が培ったクラシック感覚と熟練職人の手による精緻な加工技術、970/1000の純度を持つ真の銀製品としての存在感は、現在も宮本商行の銀製品の中に脈脈と生き続ける。銀器は高級で、改まった時に使うもの、そんな印象を抱きがちであるが、宮本商行の店内には、スプーンやナイフをはじめ、写真立て、櫛、錠剤入れ、手鏡など、普段使いの小物も数多く揃えられている。古来、銀は幸運の象徴とされてきた。それ故、名入れをした銀器は、お祝い事や記念日などの贈り物に多く用いられる。 宮本商行では、名入れは文字を刻む場所があればどんなものにでも可能だという。文字は、英文字、平仮名、片仮名、漢字とほとんどの種類に対応する。注文から1週間で、熟練の職人が一文字一文字、手仕事で刻んだものが出来上がる。

■ギンザのサエグサ・・・・明治二年創業、毛糸など洋品小物輸入・販売の先駆者。歴史学者の顔を持つ4代目三枝社長は、銀座文化研究会なども主宰し、銀座の路地、街の文化を活動にも熱心。創業者 三枝与三郎は、天保14年生まれ。甲州、井沢松本の庄屋の3男に生まれ、18歳の時に江戸見物をした際、華やかな町の様子に強い憧れを抱いた。幕末から明治維新にかけて、江戸が革命的な事件に騒然となった時代、24歳の時に江戸で一旗揚げたいという思いが募り、特に計画もなく3両を握りしめ家出同然に上京した。公館での仕事の体験を活かして与三郎は、美しい外国の製品を輸入し、居留地あたり(銀座6丁目)に奥行き2間程度の長屋を借り、店を開いた。屋号は「伊勢屋」、商売「唐物屋」(とうぶつや)と名乗った。明治5年に汽車が開通、商品は珍しさも手伝って、飛ぶように売れた。
1872年4月、銀座明暦の大火発生。江戸城の兵部省の屋敷から出た火であったが、春の強風に煽られ築地居留地にまで及び、与三郎は焼け出されてしまった。この大火で焼け出された人々に商店として払い下げるため、国家プロジェクトとして銀座煉瓦街計画が進められた。銀座煉瓦街(赤煉瓦街)は、当時の大蔵省が雇ったトーマス・ウォートルスが設計したもので、新橋がターミナルステーション、銀座が煉瓦街の入り口という立地には恵まれていたものの、鉱山の工場建築を手本としたために、窓は小さく、風は通らない、しかも生乾きだったためにカビが繁殖している上に、家賃も馬鹿高いというということから、出店しようとする者はほとんどおらず、結局、役人や福沢諭吉が無理矢理買わされるはめになったというような代物であった。しかし、一方で、そういう街の様子を、おもしろがり、洋風物が似合いそうだと踏み、新しい商売で一旗揚げよう!という、威勢のいい商人たちがどっと入り込んで来た。その一人が、与三郎であった。3階建ての煉瓦街の一店舗を使い、毛糸などを直輸入する商売を始めた。
「伊勢屋に行かなきゃ毛糸はない」という毛糸独占商売が評判を呼び、三越にも商品を卸すようになり、皇室御用達にもなった。その後、伊勢屋からサエグサ商店、そして「銀座のサエグサ」と屋号を変え、子供服の専門店として、「お母さんが選ぶいい商品」をコンセプトに、新たな展開を遂げることとなる。特に、サエグサの子供服は「子供は裸が一番かわいい。ゴテゴテした服を着せては子供らしさがでない」という思いから、日本で初めて、ジャージ布の子供服を開発するなど、高品質で動きやすい、子供らしい服を提供し続けている。現在は、商品の60%が仏、英、ベルギーからの輸入品で、35%は社内デザインの物づくりを行っている。来年創業140年を迎えるギンザのサエグサ。それを記念し、カジュアル・リッチの方向で新たな子供ブランドの確立を目指す。

■サンモトヤマ・・・・・・1955年、創業者の「茂登山長一郎」のMOTOYAMAと太陽の「SUN」をあわせて(株)サンモトヤマを設立。当初はアメリカのブランドを中心に輸入・販売を進めていたが、高級商品の審美眼を活かしてヨーロッパ・ブランドとの取引に成功し、グッチや、エルメスなど日本にブランドブームを起こすきっかけをつくる。
名門グッチとの交渉において、朝駆け夜駆けしてバスコ・グッチの門をたたき続けた情熱的な営業ぶりや、銀のシガレットケースをポケットチーフを広げて受けとった仕草が気に入られて契約までこぎつけたという伝説は数多く、今でも語り継がれている。東京オリンピックの年に開かれたサンモトヤマのサロンには、作家の川端康成や映画監督、女優・歌舞伎役者などが集い、華々しい逸話として今も残っている。
現在はアジアの銘品(ファッションだけでなく絨毯や家具など)を幅広く紹介している。

■資生堂パーラー・・・明治35年(1902年)、店舗を改装した際ソーダファウンテンを併設。ソーダ水は当時一杯25銭。現在の価格でおよそ3000円で、新橋の芸者さんがご贔屓だったとか。ウェイターのおもてなしとして一流のスタイルを備えたのも、「サービスのプロ中のプロである芸者さんに育てられたから」と話すのは【サービスの達人】菊川支配人。(パーラーの生き字引この道45年) クレームによって極めたという【ウエイターとしての秘技】は、笑顔と物腰のやわらかさ。若い人への教育は『コーヒー一杯のお客様をいかに満足させるかを考えなさい』と伝え、【その場で注意する】が最も大切と説く。銀座のおもてなし=プロ意識と洗練されたサービス。オープン以来の人気メニューは、【ミートクロケット】味の魅力も色褪せない。

■資生堂ギャラリー・・・・・『美味と美術の銀座』を体現するのが『東京銀座資生堂ビル。レストラン・カフェ・ギャラリーをひとつのビルにそなえ、総合的な“美”を提案し続ける。2001年に建てられたスタッコ(西洋漆喰)で彩られた赤土色のビルは、8丁目のランドマーク。ショーウィンドウの斬新さも群を抜いて、街に華を添えている。1872年創業以来、銀座の文化を受発信する企業の象徴であり続けている。

■むら田・・・・・・・女主人の着こなしに目を奪われ、思わず足を止めてしまうような染色工芸店。江戸時代末期から続く老舗、もともとは袋物などを扱っていたが5代目より呉服を扱うようになる。5代目村田吉茂氏は結城紬の専門染色ディレクターで、『美しい』とはどういうことかを提案できる店をコンセプトに、銀座で発展、やがて6代目に銀座店はゆずり、京都に移り住み自分は海外に出かけて古布を蒐集、春になると旅に出て長い期間かけてその土地に伝わる染織品を探し続ける。その数30ヶ国60地方に及び、現在広尾にある「むら田染色ギャラリー」に保管、それらを使い一点ものの帯・小物を創り出す組み合わせセンスはこの店ならでは。

■寛文五年堂・・・・創業300年。昔ながらの手作業による“伝授の技法”にこだわる「いなにわうどん」。製造元直営店ならではの、こだわりの技をとともに、茹で上がりの艶やかな美しさ、しっかりしたコシ、絶品ののどご三拍子揃った逸品の店。

■福澤諭吉の交詢社・・・・・・・・・・・交詢社は1880(明治13)年に福沢諭吉の主唱のもとに”知識ヲ交換シ世務ヲ諮詢スル」ことを目的として設立された日本最古の社交倶楽部で、公益法人でもある。1929(昭和4)年に竣工した2代目の「交詢社ビルディング」は、明治・大正・昭和初期に、数々の優れたオフィスビル、クラブハウスを担当した横河工務店が設計したもので、チューダー朝ゴシック様式を基調にしつつ、外観にアールデコの意匠を取り入れた、昭和を代表する建築であった。そのビルも築70年がたち、2004年建て替えの際、ファーザードの一部が玄関に活かされた。周囲が新聞社、しかも文化の発信基地銀座という恵まれた立地条件を十分に活用して、創設当初から社員(メンバーのこと)は1800人ほども在籍。職業の内訳は、官吏、学者、商業、農業が大部分で、その過半数は地方在住の人たちだったことから、それら地方のメンバーのために質疑応答を中心とした『交詢雑誌』を発行して知識交換を実践したといわれる。

■博品館(勧工場)・・・・・・・・欧化政策を掲げた政府招聘の英国人ウォートルスの指導のもと、銀座煉瓦街が完成し、文明開化の街並みに一変。1878(明治11)年、東京府が辰の口勧工場をオープン(勧工場とは、前年に新政府が新政府広報イベントとして開催した全国の新製品・工芸品博覧会の在庫処分のために設けられたスーパーマーケット)。日曜雑貨、衣類などの良質商品がひとつの施設内で定価販売される形態の発祥であり、当時大変な評判になる。銀座伊東屋の先々代もここで商売を学んだことで有名。

■金春通りの街並み・・・・江戸の街の名残が銀座には様々な形で存在する。その代表格が、銀座中央通りの西を走る『金春通り』で、幕府直属の能楽者として保護をうけた金春家の屋敷が銀座八丁目辺りにあったことに因んでいる。家康も秀吉同様、能楽の保護策を継承、江戸幕府の式楽として能楽は一段と発展した。能楽四座(観世・金春・宝生・金剛)の家元たちも江戸に移され屋敷を拝領、観世太夫は現銀座二丁目辺り(観世通りという名が残っている)、金剛太夫は現七丁目に居住したと記録が伝える。(「国花万葉記」1693年(元禄の頃)作)『金春通り』では、通りに接する店舗が『銀座金春通り会』を結成し、銀座の文化的歴史を知り、街に対する誇りと愛着を育む街作りに励んでいる。最も伝統のある金春流の屋敷跡という縁で金春宗家を顧問に迎え、江戸文化継承のために1968年から路上能を上演する『能楽金春祭り』を開催。演目は、『奈良金春』独特の平和祈願、泰平を喜ぶおめでたい曲である。路上能は、室町時代以来現在まで金春流が奈良・春日若宮の『おんまつり』に際し上演しているものである。しかし由緒ある伝統行事とは云っても、現代に公道(金春通りは区道)で舞うというのは日本でも前代未聞の出来事。『商売ぬきで銀座文化を守りたい』という情熱が、ようやく警察や役所を動かしたというエピソードも伝えられる。

■銀座久兵衛・・・・・・・・・魯山人がこよなく愛した名鮨店鮨店として名高い。1935(昭和10年)創業、今や銀座の鮨店の代表格といわれる「久兵衛」の味は、初代店主と魯山人との交友が原点といわれる。泰明小学校の頃から「将来は鮨屋」と自ら決めていたという2代目/今田洋輔店主。いつもカウンターの表と裏とで両親が働く姿を見ながら育ったという。魯山人の晩年、父親と3人で旅行に出かけたことが思い出で、旅行中は日頃厳しかった魯山人も優しい面を見せたという。日本料理を自分でも作り、本物の味が分かった魯山人。星が丘茶寮を経営したほど日本料理すべてに詳しく、「素材の良さを楽しむのが究極の目的であり、料理の中で一番手を加えないのが鮨」だというのが信条だった。先代に対し、“手をかけすぎるな”が口癖で、それで技を磨くことで返って“鮨の良さ”を再認識できたという。また、陶芸にも秀でていた魯山人は窯出しの度に作品を持ってきてくれ、「この料理にはこの器を使ったらいい」とアドバイスしてくれたお蔭で、一時店の器が全部“魯山人作”という夢のような時期があったという。その縁に因んで、店内には魯山人ギャラリーが併設され、その作品を間近に愛でることができる。

■伊勢由・・・・・・・・・・呉服・和装小物を商って140年、金春通り一の老舗。現在初夏の風物詩として新橋演舞場で催されている「東をどり」と歴史を同じくし、新橋芸者さんを初めとする銀座文化を育て、支えてきた立役者。もともとは、浴衣地の老舗で、柄を染め上げる伝統の『型紙』は、何十年分も保管され、今でも柿渋を使った職人芸の素晴らしさを見ることができる。華やかな「新橋色」といえば、『伊勢由』といわれるほど、桃色、水色、黄色、黄緑の鮮やかさには目を見張りますが、3年に一度しか作られないという貴重な柄『揺蕩とう小紋』(奇跡のストライプ)は一見の価値あり。銀座で、質の高い気軽なお稽古ごとをというコンセプトで、銀座の《和稽古》を企画開催。

■平つか・・・・・・・・・・お祝いやお礼の気持ちをこめて現金を手渡すときに使う祝儀袋や、のし袋。創業90余年という老舗「平つか」では、1949(昭和24)年から、手漉き和紙と木版刷りという伝統的名職人技を用いた、オリジナルの祝儀袋を扱っている。ひとつの祝儀袋を完成させるまでに、7人の職人が係わるという手のかけよう。和紙を鋤く人、専用包丁で切る人、図案を描く人、木版を彫る人、バレンで刷る人、そして刷った紙を用途に合わせて切る人、最後に糊で貼って仕上げる人。当然、少しでもズレを生じたものはボツ。「銀座のお客様は、本物が分かるお客様が多く、いつも気が引き締まる思いでつくっています」とおっしゃるのは3代目のご主人。このお店が代々大切にしているのは、デザイン。コンセプトは、「粋な計らい」を感じさせる「平つか」好み。祝儀袋の他に、更紗を使った桐の箱や絵はがき、便箋、江戸指物の引き出し、年末の季節にはお供え、あるいは今では入手困難な浅草「助六」の江戸玩具なども置いている。家紋の「かたばみ」は、強い根っこを持ち、道端や荒れ地でもどんどん広がっていく植物。西洋では「賢い婦人」という花言葉もあるとか。先代からの家訓。“「自分の物差し”をもちなさい。見た目の派手さや一時期の流行に踊らされることなく、本当に質の良い物を見抜く目を養うことが肝要」

■初夏の風物詩『東をどり』・・・銀座の伝統芸『東をどり』。銀座という地名が生まれる前から銀座は花街(かがい)で、最も美しく、芸事に長けた芸者さんたちは『新橋芸者』とよばれ、当時のお座敷を彩る花形で現在でも毎日厳しい稽古・研鑚を積みながら仕事を続けている。
花街に欠かせない業種は、料理屋、船宿、置き屋、鰻屋。時代は移り、街の形もお店も変わったが、艶やかでにぎやかな雰囲気の代表というのが『東をどり』。新橋芸者が一年間の研鑚の成果を発表する晴れ舞台で、そのために建設された劇場『新橋演舞場』でお披露目される。普段は料亭のお座敷でしかお目にかかれない芸者衆の踊りや音曲が檜舞台で楽しめる。舞台見物に欠かせない『か・べ・す』(「菓子」「弁当」「寿司」の3品こと)「吉兆」「新喜楽」「金田中」「松山」「米村」「やま弥」6料亭が同じ献立で料理人の技を競いながら料理をするという趣向も粋。

■ぜん屋・・・・・・・・・・・・・創業70年、履き物と傘の専門店。草履に西洋のコンセプトを取り入れ、《ダンス履き》や流線型《イタリアンカット》《メリーステップ》などを考案。《ダンス履き》は、草履を足と同じ形の足形にしたところ、、京都の舞妓さんの間で流行、根強い人気がある。《イタリアンカット》は、細身の型で、足元がすっきりスマートに見えることから、歌舞伎界のの奥様方が多く履かれている。ぜん屋のコンセプトは『あなただけのコーディネイトの一足を作る』。オリジナルデザインの12層をなす草履は、その色目の美しさは絶品。花緒挿下は、全て手作り、お客様の足にぴったりに作ることを第一に、だからアフターサービスも万全。

■月光荘画材店・・・・・・・大正6年(1917年)に創業して以来、「色彩の持つ純な美しさ、透明感を追い求め歩み続けている画材のみの専門店。歌人与謝野鉄幹と妻晶子夫妻が創業者と懇意であったことから、「大空の月の中より君来しや ひるもひかりぬ夜も光ぬ」と詠んで、「月光荘」と名付けたのが由来。トレードマークは「友をよぶホルン」。店の誇りは、自家製品だけを扱うこと、26の製品の特許がある。創業者橋本兵蔵氏は「月光荘おじさん」と親しまれた。1940年、世界標準色ルリの青、コバルトブルーの純国産第一号絵の具を誕生させた。「自家製スケッチブック」の品揃えは数多く、とくに1センチ四方のスケッチブックは、使いやすいと評判。

■カフェ・ド・ランブル・・・・・・・店を構えて60年、珈琲一筋に人生を捧げる関口一郎氏が90歳を越えた今でも良質の豆を厳選し、熟成、焙煎するコーヒーは、豊かなコクと深い味わいがあると評判で、特にほんのりとした甘さの魅力に惹かれて、世界中から珈琲通が足を運ぶことで有名。アレンジ珈琲も多く、“「琥珀の女王」は絶品。

■カフェーパウリスタ・・・・1913年に銀座で創業、現在の場所に移転して38年目という老舗カフェ。革張りのソファとシャンデリアが懐かしさを醸し出すこの店では、朝の時間がゆったり。厚切りトースト、ジュース、ミニセットモーニング、キッシュ、ホットドック、などのメニューも豊富。銀座を代表するレトロカフェとして有名。『無農薬栽培の森のコーヒー』はマイルドな味わい。

■森前(もりまえ)・・・・・・銀座で唯一、本格的盆栽の専門店。中学を出て、栃木で盆栽修行、銀座三越の盆栽売り場をまかされるも、まったく売れない半年間があり、『自分には商いの才能がないのでは』と思い悩む。睡眠3時間の日々で身につけたのは、立って眠る技。顧客開拓の日々がオーナーを一人前のオーナーに育てる。独立するとき元では500万円の貯金だけ。どうしても銀座出でデビューしたかったので、今まで売った顧客の皆さんに、『盆栽』を貸してもらい、それを売って資金を稼ぎ、大家と交渉(物件担保、当時3500万円)、分納で納めることでようやく開店にこぎ着ける。『顧客のおかげでこの森前は開店できた』と感謝する日々。その応援がかない、現在年商8億。年間走行距離10万キロ、その後ガーデニングブームも手伝いようやく軌道に乗り始める。最近の変化は、若い女性の盆栽ファンが台頭。もう一つは、ITやニュービジネス関連の若きオーナー客、そして外国人。最近では『コンテンポラリー感覚』で盆栽をとらえ、インテリアとしても利用されている。森前オーナーが銀座にこだわった理由。①銀座は商いの檜舞台、そこで商売をやりたい②銀座は文化の発信地。そこから盆栽の文化を広げていきたい。③銀座には、その日、その時代に光っている人が集まる商いのコンセプト『待ちの商いはしない』。

■ビヤホール・ライオン7丁目店・・・これこそがビヤホール!大空襲にも耐えぬいた昭和9年創建の建物は、新橋演舞場も手がけた建築家菅原栄蔵氏の設計本物の昭和レトロの空間で、この道50年のビールマイスター海老原氏(副支配人)の注ぐビールを頂くのは至福。ランチを頼むとビールが付いてくる、のもここならでは。

■佐人・・・・・煎茶道の店。店主が薦める「人生を変えるお茶」との出逢い、聞茶の醍醐味、店のしつらえ、おもてなし。和の語り部の異名を持つご店主の気さくさが評判で、日参するご贔屓も多い。

■サンタ・マリア・ノベェッチ・・・かのメジチ家が支援したといわれる、13世紀創業のイタリア・フィレンツェにある修道院の薬局が由来。フィレンツェの丘で採れる野草を原料に入浴オイル等を販売。『バラ水』アクア・ディ・ローゼというボディローションが有名である。

■資生堂本社(成功稲荷)・・・銀座ブランドを体現した企業〜資生堂〜
企業が「文化」の土壌を提供、日本初とされる商店街連合会である「銀座通り連合会」が先代の努力により1919(大正8)年に発足、現在、福原義春資生堂・名誉会長が第9代会長を務める(245社が加盟)。この間世間を騒がせた、松阪屋+森ビル連合/高層化計画にも毅然とした態度で臨み、「高さ制限56メートル/銀座ルールを制定」。福原氏の名言「企業の背骨とも言える、企業価値の体系をどう遺伝子として組織に残していくのか。経営者は自らと対話し、価値基準を見定め、それを「語り部」として次世代に伝えていかなければなりません。それが後の企業の“見えざる資産”となっていくのだと思います」銀座の歴史は、文化経済という日本では新しい学問分野で取り上げられているように、文化の充実が経済の発展を支え、経済の発展が文化の進歩をたすける、「クオリティとはそこに生まれる」という見事な実例を資生堂は示している。














































































































































































































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