BUNSHODO
前回までの文祥堂フォーラムのご紹介
第268回 世界一の映画館と日本一のフランス料理店を
         つくった男はなぜ忘れ去られたのか
2008年1月23日

















 佐藤久一は、1950年代から60年代にかけて山形県酒田で独創的な映画館「グリーンハウス」をつくり、地元の人達はじめ映画関係者の注目を集めていました。映画評論家・淀川長治は当時の「週刊朝日」に、「これこそ世界一の映画館」だと紹介しました。
 どこがそんなに見事だったのでしょうか。
 1964年、佐藤久一は、突如、酒田を離れ東京の日生劇場で働きます。なぜ大成功した映画館経営を放り出して東京へ行き、違う仕事をしたのでしょうか。
 そして3年後の1967年、佐藤久一は再び酒田に戻り、その年から90年代にかけて、「欅」、「ル・ポットフー」というすばらしいフランス料理店をつくります。佐藤久一の料理を食べに東京・大阪などからグルメツアーが組まれ、多くの芸術家、文化人が訪れるようになりました。日本で最も魅力的なフランス料理店が酒田にあったのです。しかし晩年、佐藤久一は「自らの王国」を追われ、不本意のままに世を去ります。そして人々から忘れ去られていったのです。
 なぜ彼は、正当な評価を得られないのでしょうか。
 今回のフォーラムでは、謎につつまれた佐藤久一の光と影をお話いたします。
(岡田 芳郎)





PROFILE ・・・・・・・・・・・・・・・・

岡田 芳郎 氏 (おかだ よしろう)
広告ジャーナリスト、 元電通CI室長
1934年東京生まれ


電通CI室長、電通総研監査役をつとめ、1998年退職。
数々の都市イベントをプロデュースし、1970年の大阪万国博で「笑いのパビリオン」を企画。
1980年代、電通のCIビジネスで指導的役割を果たす。オペラ、演劇などのパフォーミング・アーツへの造詣が深い一方、若いころから詩作、映画鑑賞に親しんでいる。
主な著書に、「冠婚葬祭に詩の花束を」(経済界)、「観劇のバイブル」(太陽企画出版)、「アメリカの心」(学生社)など。

最新著書「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」(講談社2008.1.18発行)




PROFILE ・・・・・・・・・・・・・・・・

室井 克義 氏 (むろい かつよし)
リストランテ「エム・ディ・ピュー」オーナーシェフ
元日本イタリア料理協会会長
1951年東京生まれ


1975年、酒田のレストラン「ル・ポットフー」で一年間修業。佐藤久一から強い影響をうける。
1977−1985年イタリアで修業。
1987年、ホテル西洋銀座・イタリア料理「アトーレ」料理長に就任。
2003年、銀座に「エム・ディ・ピュー」をオープン。
元日本イタリア料理協会会長。
著書「イタリアン・アウトドア・クッキング」(柴田書店)ほか。




■ 講演内容 ■

第一部 講演 岡田芳郎
  1. 酒田・映画館「グリーン・ハウス」
  2. 東京・日生劇場
  3. 酒田・レストラン「欅」
    レストラン「ル・ポットフー」

第二部 対談:室井克義 聞き手:岡田芳郎

「佐藤久一の料理」
「私の料理」

  • 世界一の映画館と日本一のフランス料理店をつくった男はなぜ忘れ去られたのか

    この男、佐藤久一は、山形県酒田の人である。1930(昭和5)年1月5日生まれ、1997(平成9)年1月23日、67歳で亡くなった。佐藤久一の人生を規定する3つの鍵は、「名門の家」「才人」「美男子」である。父、久吉は、酒田市議会議長、酒田商工会議所会頭など多くの公職を務めた酒田経済界のリーダー。家業は、清酒「初孫」醸造元。
  1. 酒田・映画館「グリーン・ハウス」
    佐藤久一は1950年、20歳で支配人となる。粗末な映画館を智恵をしぼって、すばらしい環境に変えてゆく。カプセルの中のチケット・ガール。入り口は、回転ドア。場内ロビーには、魔法瓶、お茶の道具が用意してあり、暖かいお茶を自由に飲める。活花が至る所に飾られロビーがいい香りに包まれている。テーブルには便箋、ペン、インク、封筒が置かれ休憩時間などに手紙を書く人の便宜を図っている。(切手、はがきも売っている)。女性トイレを豪華で美しいものにしたので女性の人気を集めるなど、サービスに気を使う。1952年夏、映画館前の空き地にベンチ、花、日覆いを設置し、夜はニュース、マンガ、予告編などを上映。(日本のテレビ放送が始まり街頭テレビに人が群がった1年前に、「グリーン・ハウス」は街に情報を発信していた。)

    土曜夜に地元のアマチュア劇団、学生の合唱団などに劇場を開放。日曜朝は親と子に低料金で児童向けプログラムを提供した。51年、市立酒田病院で映画会を行ったときは他に娯楽のない入院患者が泣いて喜んだ。映画館の最終回上映終了後、市内を回る無料バスを運行させ、遠方から来る客の便宜をはかった。
    クリスマス・ナイト・ショー、クリスマスイブ・ショー、酒田のパリ祭は、いずれも遊び心一杯の独創的イベントだった。
    グリーン・ハウス内の喫茶店「緑館」に集う若い詩人たちのスポンサーとして詩誌「緑館」を発行させた。ここから、吉野弘、佐藤十弥など優れた詩人が輩出した。

    佐藤久一の経営手腕をしめすものに、東京と酒田の同時ロードショーがある。1960年6月「太陽がいっぱい」を東京・日比谷スカラ座とグリーン・ハウスの同時ロードショーは、映画関係者が驚いた。その後しばしばこの形が行われ、それは酒田市民の誇りとなった。
    佐藤久一は先進的な映画館への実験を次々に行なってゆく。62年6月、グリーン・ハウス2階に定員10名のミニ映画館、本当の映画好きのための名画座「シネサロン」を作る。
    63年10月2階右隅に、前面をガラス張りにし専用のスピーカーを引き込んだ、定員5名の個室「新特別室」を作る。自分の家のリビングルームのようにアームチェアで快適に自由に映画を楽しめる空間である。
    63年8月2階左隅に、定員4名の「御家族室」を作る。茶の間のように座椅子、座布団に座って見られる。これらの個室は、出前で食事や飲み物をとることが出来、仲間のパーティー、家族の誕生日祝いなどに人気の高い部屋となった。客席をそれまでの505から349に減らして客が快適に楽しむ方法を考えたのだ。
    1階に喫茶店、バー、2階に名店街もあり、今日のシネマコンプレックスの魁であり、シネコンにない親密感と心地よさに溢れていた。東京でゆったりした快適な椅子の映画館がつくられはじめたのは80年代であるから、それより20年以上早い時期に佐藤久一は今日でもまだどこにもない理想的な映画館を作り上げていたのである。
    1963年10月4日号の「週刊朝日」は、「港町の世界一・デラックス映画館」と題して、4ページにわたりグリーン・ハウスを紹介した。その中で、映画評論家淀川長治氏は、「私は世界中の映画館を見てきたが、グリーン・ハウスは世界一だ」と語っている。

    しかし佐藤久一は突如この映画館を投げ出して、東京へゆく。三年後、ふたたび酒田に戻り、今度はフランス料理店を開く。
    佐藤久一のダイレクトメール
  2. 酒田・レストラン「欅」
    1967年11月30日オープン。
    当時まだフランス料理は日本人の生活の中で日常的な存在ではなかったが、食の洋風化の流れにのって、客は意外に店にやってきた。酒田はすばらしい食材の宝庫、新鮮な海の幸、山の幸。取締役・支配人の佐藤久一とシェフの太田政宏は二人三脚で自分達の料理を模索した。69年大阪の料理研究家・辻静雄に会い、72年フランス人シェフポール・ボキューズの教えをうけたことで目を開く。ボキューズなどから学んだ技術、フランスの料理研究書、庄内のお婆さんたちから聞きだす昔ながらの郷土料理の作り方・・・。これらをヒントにフランス風郷土料理という新しいジャンルを開いてゆく。

  3. 酒田・レストラン「ル・ポットフー」清水屋店
    1973年9月1日オープン。「欅」はビジネスマンの客が多かった。清水屋デパートから出店の要請があり佐藤久一は食べることに熱心な女性と子どもにフランス料理を提供することに意欲を持つ。昼の営業だけでなく、予約客中心に夜も営業を始め 268_sato.html る。この頃からル・ポットフーの伝説が生まれ始める。
    74年10月、作家の開高健が来店し、絶賛する。開高の話を聞いて丸谷才一がやってくる。丸谷は文芸春秋に「裏日本随一のフランス料理」と題してル・ポットフーの料理をレポートする。写真家の土門拳も佐藤久一のファンである。

  4. 酒田・レストラン「ル・ポットフー」東急イン店
    1975年12月1日オープン。ビジネスホテル東急イン3階にレストラン、4,5,6階に宴会場・結婚式場。
    3階レストランは地中海に浮かぶ船をイメージして店づくりをした。店内はワインレッドと白の配色で華やかに彩られ、壁際を覆う精緻なゴブラン織りが豪華だ。シャンデリアとそれぞれデザインのちがう数多くのランプ、真鍮を使ったブラケットがキラキラと輝く。そのような舞台で佐藤久一は食材の仕入れ、オリジナルな料理の創出、食卓の演出に才能を発揮してゆく。やがて客は全国からやってくるようになり、ル・ポットフーを訪ねるツアーも組まれるようになった。店は予約の要らないファミリー・レストラン「プチ・ポットフー」、フランス料理レストラン「ル・ポットフー」そして2つの個室の3層構造になる。

    1976年10月29日午後5時40分、酒田中心街から火の手が上がる。酒田大火である。その火元は、なんと佐藤久一が12年前まで支配人を勤めた映画館「グリーン・ハウス」だった。
    その後もル・ポットフーは客の高い評価を得、「日本一のフランス料理」「人生最上の食事体験」などの賛辞をうけつづけた。しかし、1993年1月、佐藤久一はル・ポットフーを馘首される。料理の評価は高くても赤字がかさみ、経営が立ち行かなくなったのである。そして佐藤久一のアルコール依存症もオーナーの許せない事柄だった。

    佐藤久一が亡くなって11年になる。グリーン・ハウス、欅、ル・ポットフーで行った仕事の検証はまだなされていない。そろそろ酒田の誇りとして再評価すべき時期にきているのではなかろうか。

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